W.A.モーツァルト 交響曲第37番 ト長調

指揮ニコラス・ウォード
演奏ノーザン室内管弦楽団
録音1994年5月16・17日
カップリングモーツァルト 交響曲第19番 他
発売NAXOS
CD番号8.550875


このCDを聴いた感想です。


 モーツァルトの「後期6大交響曲集」というと、たいていは第35番<ハフナー>から第41番<ジュピター>までを指します。しかし、35番から41番までということは、全部で7曲のはずです。それなのに「6大」とはどういうことでしょうか。
 理由は単純で、7曲の中で1曲だけ仲間に入れてもらえない曲があるからです。
 その1曲とは必ず第37番で、他の曲が外れることはありません。第36番<リンツ>と第38番<プラハ>の間の第37番ですから、同じ時期のはずなのに、なぜこんなに扱いが悪いのかというと、答えは簡単。この曲だけ実はモーツァルトの作曲ではないからです。もともと20世紀に入るまではモーツァルト真作で<リンツ>の同じ時期の作曲だと思われていました。だからこそ第37番という番号がつけられていたわけです。ところが1907年に、曲の中でモーツァルトが作曲したのは実はわずかに第1楽章の序奏部(Adagio Maestoso)の部分のみ、ということが判明してしまいました。ではそれ以外は何かというと、有名なJ.ハイドンの5歳下の弟のミヒャエル・ハイドン(この人も十分著名な作曲家ですね)の作曲したものだったのです。形としては、M.ハイドンの交響曲が先にあり、それにモーツァルトが序奏部を加えたということですね。
 そんなわけで、第37番は、モーツァルト「後期6大交響曲」の間に紛れていながらも、交響曲全集の録音があっても入れてもらえない場合の方がむしろ多く、よしんば録音されても、モーツァルトが作曲した序奏部のみだけとかという扱いを受ける非常に不遇な交響曲なのです。
 それでも、わたしの持っている交響曲第35番〜第41番の総譜(Dover(Breitkopf&Haertel Edi.))には、<リンツ>と<プラハ>の間にちょこんと収録されていたりします。一応総譜はあるのですから(もちろん、第37番が実際にはM.ハイドンの作曲ということは明記してあります。作曲年代なんて「Said to be composed in 1783(1783年作曲と言われていた)」と書かれているぐらいですし)、たとえモーツァルトの真作ではないにしても、聴いてみるだけは聴いてみたい、と思っていたのですが、予想通りというか、実際には予想以上にハードルが高かったのです。
 そもそも録音自体が仮にも(仮ですが)モーツァルトの名前がつきながら数種類しかありません。それも数あるモーツァルト交響曲全集のごく一部に収録されているぐらいで、手に入れるためには全集で購入しなければなりません。曲が多いだけに高価ですから、第37番を聴きたいだけなのに全集を買うのはさすがに躊躇してしまいます。まあ、モーツァルトの交響曲ぐらい全集で持っていても損は無いだろうという話もありますが。そんな中で珍しくCD1枚に収録されていたのが、珍曲マニアの味方NAXOSから出ている、このウォードの演奏だったのです。1枚で入手できる演奏は、たぶん他には無いと思います。
 それだけ苦労して手に入れた第37番ですが、やはり同じ時期の後期6大交響曲と較べるとだいぶ違います。
 これは聴く前に総譜を見た段階である程度予想できましたが、規模自体がかなり小さいのです。
 楽器編成にしても、<リンツ>がオーボエ・ファゴット・ホルン・トランペットが各2管+ティンパニー+弦5部(後期6大では第40番の第1稿の次に小編成)、<プラハ>が<リンツ>の編成+フルート2本なのに較べて、第37番は、基本的に管打楽器はオーボエとホルンの各2管しかありません。後は第2楽章で、オーボエと持ち替えでフルートが登場するくらいですから、聴いてすぐにわかるぐらい小ぢんまりとしています。ただ、このCDでは第2楽章にファゴットの目立つソロがあります。しかし楽譜にはファゴットはありません。チェロなどと同じ低音をなぞるのでもなく、全く楽譜には無い動きもしています。別稿があるのか、それとも指揮のウォード独自の判断なのかはちょっと不明です。
 楽章がメヌエット無しの全3楽章というのは、<プラハ>と同じ構成ですが、<プラハ>は演奏時間が、繰り返しをカットしても25分前後、繰り返しを楽譜通り実行しようものなら40分近くかかっている演奏まであるのに、第37番は15分もかかっていません。非常に小さくまとまった曲です。第3楽章が6/8拍子のロンドということもあって、なんだかホルン協奏曲を思い出します。
 また、曲調も他の交響曲から感じられる陰影がほとんど無く、上品で伸び伸びとした明るさに満ち溢れています。メロディーの直線的に伸びるところや、細かい音で音階で動いていく高弦の伴奏、四分音符で刻む低弦のリズムなど、まさに古典派ど真ん中といった感じで、たしかにハイドン作曲と言われれば、「ああ、なるほどねー」と納得できる曲調です。
 唯一のモーツァルトの真作部分の、第1楽章の序奏部は、楽章全体の演奏時間5分19秒中の1分22秒を占めていて、実は結構長さがあります。こちらは、表情の彫が深く、なるほどたしかにモーツァルトらしさが感じられます。序奏部と呈示部のつなぎは、まあ、木に竹をつないだと言えばそうなのですが、テンポ自体がガラッと変わるため、そういうものだと思えば、わたしは、それほど気になりませんでした。
 M.ハイドンが作曲した本編も、悪いものではありませんし、ハイドン好きなら、むしろ十分に楽しめると思います。しかし、モーツァルトを期待すると、良し悪しではなく、やはり別のものですから、どうしても不満を感じしまうのは止むを得ないところでしょう。(2010/10/16)


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