指揮 | ウィレム・メンゲルベルク |
独唱 | ソプラノ:リア・ギンスター |
演奏 | アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 |
録音 | 1942年3月5日 |
発売及び CD番号 | AUDIOPHILE(APL 101.546) キング(KICC 2057) ARCHIVE DOCUMENTS(ADCD.109) |
なんとも表情の濃い、人間臭い演奏です。 たしかに、モーツァルトのモテットは、神への感謝をこれでもかと感じさせてくれるような荘厳なものではなく、どちらかというとオペラ的な性格が強く、このモッテトのように、ソプラノ一人に管弦楽の伴奏というスタイルだと、ほとんどオペラの一部のアリアみたいなのですが、それでも、歌詞の内容は神の讃美で、あまり屈折した感情は無く、素直な性格の曲です。 多くの演奏では、信仰心をストレートに表したかのように純粋で、陰を感じさせない明るさで伸び伸びと歌われています。 ところが、メンゲルベルクの演奏は、あちこち回りまわって神の許へ辿り着いたかのように、ストレートではなく妙に持って回っています。 といっても、メンゲルベルクの特徴の一つであるテンポの伸び縮みは、実はほとんど行なっていません。 たしかに、フレーズの最後で遅くすることがあったり、アレルヤの最後で、アレルヤの『ル』の音をフェルマータの如く本来の長さの5倍ぐらい引っ張ったりという強烈な変更もありますが、むしろ例外で、ほとんどは一定のテンポで、少なくとも聴いていて明らかに分かるようなテンポの揺れ動かしはごく一部です。 このように一定のテンポを保つという点では、ベートーヴェンの演奏に近いのですが、ベートーヴェンのアレグロを演奏する時と大きく異なっているのは、この曲では、音を短く切って硬めのキレのある音で演奏しているのではないという事です。 アレグロでも音は長めで柔らかく、一つ一つの音まで歌わせて表情を付けています。 この表情付けがあまりにも濃いため、明るく演奏しているのにもかかわらず、重く、どことなく陰があり、素直に絶対的な神を讃美しているというより、何か疑問を感じて一歩引いているか、もしくは神以外の何か……もっと人間に近いものを謳っているという印象を受けます。 メンゲルベルクとモーツァルトは合わないという評価を、どこかで聞いたことがありますが、この演奏を聴いていると、そういう評価をしたくなるのもわかるような気がします。 わたしは、モーツァルトの音楽というものは、天真爛漫で、たとえ悲しみが心にあっても、号泣するように生々しく表したりはせず、結晶化したように純粋な形で表したようなもの、と考えています。 ところが、メンゲルベルクの演奏の特色は、感情を拡大増幅させたりといったデフォルメにあるため、かなり方向性が異なっています。 これでは、メンゲルベルクの演奏はモーツァルトの魅力を活かしていないと言われても致し方ないところで、だったらいっそ、「モーツァルトの曲にもこんな演奏のしかたがあるんだ!」という点を独自の魅力とした方が良いのかもしれません。 実際、モーツァルトで、ここまで表情の濃い面白い演奏もなかなか無いのではないかと思います。 一つ注意点として、この演奏は、録音が一部欠けています。 曲の冒頭部分、第13小節目の第3拍目までの録音が欠落していて、その小節の第4拍目から演奏が始まっています。(2003/8/16) |