S.S.プロコフィエフ スキタイ組曲「アラとロリー」

指揮イーゴル・マルケヴィッチ
演奏フランス国立放送管弦楽団
録音1955年5月
カップリングプロコフィエフ 「三つのオレンジへの恋」組曲 他
発売EMI
CD番号7243 5 69674 2 7


このCDを聴いた感想です。


 この曲、本来なら「アラとロリー」というバレエ音楽となるはずでしたが、企画が見事にぶっ潰れてしまい、改めて4曲からなる「スキタイ組曲」という形でまとめられました。
 ウソかホントか、興行主のディアギレフから『ストラヴィンスキーの春の祭典の2番煎じ』と評されただけあって、第2曲の「邪神チェルノボグと邪教徒の踊り」に代表されるように、4曲ともかなり派手かつおどろおどろしい曲です。
 編成も4管編成と大きく、録音の良さが演奏効果に強く影響を与えるため、基本的に新しい録音の方ほど有利になります。
 それなのに、今回取り上げるマルケヴィッチの演奏の録音は1955年。他の国ではボチボチ、ステレオ録音が出始めている頃ですが、フランスではかなり遅かったという噂どおり、残念ながらモノラル録音です。たしかにモノラル録音として最上位ですが、ステレオ録音を経てデジタル録音が一般的になった現代と比べると、零戦がいくら当時最高の技術だったとしても現代のジェット戦闘機に立ち向かうのは自殺行為なのと同様に、とても太刀打ちできるものではありません。
 実際、わたしはマルケヴィッチの演奏の他に、ラトル/バーミンガム市響やロジェストヴェンスキー/ロンドン響などのCDを持っていますが、ラトルの演奏の方が、金管の厚み、重厚感、完成度では遥かに上ですし、ロジェストヴェンスキーの演奏のような、圧倒的なパーカッションなども聴くことができません。
 さらに言えば、オーケストラはフランス国立放送管です。たしかに個々の奏者のレベルは結構高いようなのですが、こと合奏能力という点に関しては、スタジオ録音だからまだましとはいえ、どうも怪しいものです。
 このようにマイナス点を挙げたらキリが無いほどの演奏なのに、なぜわざわざ取り上げたかというと、この演奏に、他の演奏には無いもの感じたからです。
 それは「ギリギリ感」とでも言いましょうか、わずかでも歯車がずれたら全てが崩壊しそうな緊張感です。
 これはフランス国立放送管の合奏能力のそれほど高くないためでもありますが、オーケストラが指揮者に常に限界を要求され、必死でついていっているのが強く伝わってきます。第2曲の後半のような複雑なところでは特に危なく、いつ崩壊するか、いま崩壊するかと手に汗握るスリル、指揮者がなんとか最後に一つにまとまるところまで強引に引っ張り上げた時の安堵感は、聴く者の感情が演奏と完全に一体になり、まさに生で聴いているかのような気になってきます。
 さらにフォルテなどは、まるで悲鳴を上げているようで、これがまたスキタイ組曲というグロテスクな雰囲気によく合っているのです。
 だったら単に下手なオーケストラに演奏させれば良いじゃないか、と思われたでしょうが、ポイントは個々の奏者は結構レベルが高い点にあります。
 アンサンブルは危ないものの、個々のフレーズはまともに演奏できているため、崩壊寸前の割にはピシッと締まって聞こえ、これはフランスのオーケストラということもあるのでしょうが、色彩感もかなり鮮やかなのです。
 第3曲の「夜」なんかは、夜陰に乗じてチェルノボグが太陽神の娘であるアラを襲うはずが、色彩が鮮やかすぎて、まるで白昼堂々と襲っているかのように聞こえます。
 しかし全4曲の中でも、やはりもっともインパクトが強かったのは第2曲の「邪神チェルノボグと邪教徒の踊り」でしょう。
 全体で一つの響きという一体感はまるで無く、個々の楽器の生の音がストレートに届いてきます。メロディーと伴奏といった役割分担もほとんど無く、メロディーだろうがほんのちょっとした動きしかない伴奏だろうが、みんながみんな自分こそ主役という意識でどんどん前に出てきます。
 それだけに、色彩感はほとんど原色をベタッと塗りまくったように派手だわ、パワーなんてあちこちで暴発しまくってやりたい放題だわで、まさにカオスの世界です。なるほど、考えてみれば邪神の描写なのですから、通常では考えられないバランス調整でも全く不思議ではないわけです。
 他の3曲も十分すごいのですが、もうこの第2曲が強烈で、これだけで元を取ったような気分になりました。(2008/5/10)


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