指揮 | ウィレム・メンゲルベルク |
演奏 | ニューヨーク・フィルハーモニック |
録音 | 1925年10月6日 |
カップリング | ベートーベン 序曲「コリオラン」 他 The complete 1922-25 New York Philharmonic recordingsの一部 |
販売 | Biddulph |
CD番号 | WHL 025-26 |
メンゲルベルクの「さまよえるオランダ人」序曲は、おそらくこの演奏一つきりでしょう。 <註> そして、メンゲルベルクのワーグナーの序曲の演奏の中で、コンセルトヘボウ管ではなく、ニューヨーク・フィルと録音したのも、この「さまよえるオランダ人」序曲のみでしょう。 ただ、序曲以外ですと、楽劇「ジークフリート」の『森のささやき』をニューヨーク・フィルと後年録音しています。 また、この「さまよえるオランダ人」序曲を録音したのは1925年で、おそらく電気録音の中でも最初期のものだと思います。 だから音も期待できない……と思いきや、これが意外と良いのです。 たしかにザーザーいう雑音は常に聞こえます。 ダイナミクスももちろん広いわけがありません。 しかし、音自体は驚くほど鮮明に録音されています。 楽器と楽器の間の分離もよく、かなり細かい部分まで聴き取ることができ、ニュアンスも手にとるようにわかります。 さらに、何と言っても一番嬉しいのが、最強音になっても音が割れないことで、これ一つだけでも『音が良い』と評価したくなるほどです。 ………念のために書いておきますが、上記の評価は、あくまでも『1925年の録音』としての話であり、間違えても戦後の録音なんかとは比較しないで下さい。較べると悲しくなりますので…… ………何しろ、1930年代後半のスタジオ録音に対してでさえ余裕で負けています(涙) 演奏は、メンゲルベルクがまだ若い(54歳)こともあり、あまりテンポを動かさないすっきりしたものになっています。 それだけに、速いテンポの部分でのリズムのキレは鋭く、短い音で快刀乱麻にザッザッと切っていく様は気持ちいいほどです。 また、すっきりした演奏とはいってもそこはメンゲルベルク。Ritenutoの部分などは、思いっきりテンポを落として見せ場をつくってくれます。 このRitenutoの部分でテンポを落とした時、音楽が弛緩して伸びきったりしないのがいいとこで、次の小節へ向かって緊張感はむしろ高まっていきます。 さらにメロディーを歌わせる部分では、さすがに後年のようなポルタメントをかけたりはしていませんが、音から音への移り変わりは大変滑らかで、ワーグナーらしい官能的な雰囲気が何気に感じられたりします。 先ほども書きましたが、1925年の演奏ということもあり、ピアノとフォルテで、音量的な差はあまりついていません。 ところが、この演奏を聴いていると、だんだんダイナミクスの幅が非常に大きくつけられているように思えてきます。 なぜそういうふうに思えてくるかを、よーく考えてみると、どうやらニュアンスが大きく影響を与えるようです。 メンゲルベルクは、フォルテの部分は思いっきり硬く演奏し、ピアノの部分はできるだけ柔らかく綺麗に演奏することで、実際の音量以上にダイナミクスの幅を大きくしているのです。 そのため、音量自体は変わっていないのにもかかわらず、ニュアンスだけでピアノとフォルテの差はハッキリと感じることができます。 この演奏は、録音が良いということもあり、メンゲルベルクのニューヨーク・フィル時代の録音としては最上のものの一つだと思います。(2001/5/25) <註> その後、TAHRA(401-402)に掲載されていたのディスコグラフィーによると、メンゲルベルクは、「さまよえるオランダ人」序曲を、この録音以前に一度録音していました。 その録音は、本録音の半年前の1924年で、同じくニューヨーク・フィルと録音しています。 ただ、その演奏は機械録音であり、半年後に電気録音で今回の演奏を録音しているため、1924年の録音は、おそらくレコード化されてたことは無いと思われます。(2001/11/22) |