R.シューマン 交響曲第1番 変ロ長調 <春>

指揮セルゲイ・クーセヴィツキー
演奏ボストン交響楽団
録音1939年11月6〜8日
カップリングシューベルト 交響曲第8番<未完成> 他
「KOUSSEVITZKY conducts SCHUBERT MENDELSSOHN SCHUMANN」の一部
発売Pearl(Victor)
CD番号GEMM CD 9037


このCDを聴いた感想です。


 副題の「春」の浮き立つ気分をそのまま表現したような、飛び跳ねるリズムの良さがあり、なにより楽しさがよく伝わってくる演奏です。
 特に、第1・4楽章の速いテンポの部分で、前へ前へと進んでいく感じが良く出ています。ただ、テンポ良く進んでいきますが、「軽い」というわけではありません。響き自体は、いかにもフルオーケストラらしくかなり厚く、低音も結構強く出ているため、典型的なピラミッド型で、むしろどっしりとしています。どちらかというとブラームスなどの重厚な音楽が似合いそうな重い響きです。さらに、アタックは鋭いというよりはズンと重みを乗せた一撃です。しかし、アタックをつける部分は重くてもそれ以外はスッと抜いてメリハリをつけ、しかもテンポを保っているために、厚みはありながらも、テンポ良く音楽がどんどん前に進んでいきます。
 同じような昔の指揮者で前へ常に進んでいくというとトスカニーニが思い浮かびます(まあ、トスカニーニにはたしか「春」の録音が無く「ライン」だけだったので直接の比較はできませんが)。トスカニーニが、高い緊張感で直線的に貫いていくのに対して、クーセヴィツキーはもっと跳ねる感じでそれほど徹底して直線的ではありません。緊張感の高さではそれほど違いは無いものの、厳しさや圧倒感という点では、おそらくトスカニーニの方が上回っていると思います。しかし、クーセヴィツキーには楽しさがあります。まさに副題のように「春」になって新芽が生まれるように、新しいものが次々に出てきたわくわくするような気持ちが感じられます。もちろん、もしトスカニーニが「春」を演奏していたらクーセヴィツキーと同じような演奏をしていた可能性もありますが。
 一方、メロディーの歌い込みはというと、これが意外と表情が抑え目です。
 第2楽章辺り、「春」らしく溌剌と楽しく歌い上げてそうなものですが、そうでもありません。響きを大きく取って、メロディーはその一部のように歌い方よりも音をしっかり響かせる方に重点を置いています。全体が一体となって静々と進行していく感じで、明るいながらもかなり穏やかな音楽に聞こえました。
 逆に最も鋭いのは第3楽章かもしれません。
 中間に挟まれた二つのトリオは、第1・4楽章に似て、明るく溌剌としています。一方、主部の部分は短調ということもあって、対比を出すためにか、重みを持たせながらも、グンとぶつけるようなアタックをつけた激しい音楽になっています。そこからゆるゆるとテンションが下がって急激に明るい第4楽章へと続いていくので、そこはトリオとはまた違った対比になっています。
 録音は1939年ですからそれほど良いものではありません。同じ時代の他の録音と較べるとそう悪いものではなく、音の割れとかは少ないものの、細かい部分はかなり聞き取りにくい、まあ貧弱な音です。それでも、第1楽章終盤のトランペットのファンファーレのハーモニーの美しさなどは驚くほど伝わってきますし、そこそこ聴ける音ではないかと思います。(2010/10/2)


サイトのTopへ戻る