R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

指揮ウィレム・メンゲルベルク
演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音1940年12月12日
発売及び
CD番号
日本フォノグラム(PHILIPS)(PHCP-3084〜97)
UNIVERSAL(PHILIPS Dutch Masters Vol.60)(468 099-2)


このCDを聴いた感想です。


 R.シュトラウスというと、細かく入り組んだ管弦楽法と大編成による圧倒するような分厚い響きが持ち味の一つですが、どちらも録音に大きく影響される要素です。
 その点を考えると、メンゲルベルクの演奏は戦前のまだ録音技術がそれほど発達していない時期の録音という時点で既に大きなハンデを背負っています。なにせそもそもモノラルなのに音の分離も悪く細かい部分はごちゃまぜですし、その上、二つある「ドン・ファン」の録音の中で、この演奏はさらに録音には不利なライブです。
 しかし、それだけ悪条件が揃っていながらも、なおわたしはこの演奏に捨てがたい魅力を感じます。
 それは大きく分けて二つあります。
 一つ目は、実は先ほど不利な点として挙げた響きです。
 たしかに録音状態が良くないため響きに広がりがありません。その代わり、横へ拡散しない分、締まった音になり、前へと突き進んでいこうとする意識がより鮮明に浮かび上がって来るのです。
 特にフォルテの部分は、短く切ったスピードの乗った音でぐいぐい前へ進んで行き、メロディーを中心にして響きがどんどん凝縮して密度が濃くなっていくあたりは、後年の指揮者の厚い響きのある演奏とはまるで逆の方向性を追求した音楽になっています。
 そしてもう一点はメロディです。
 粘りに粘って歌いこんでとろけるような甘い表情を付けるところはまさにメンゲルベルクが極めた奥義でしょう。
 これは特にヴァイオリン・ソロなどのピアノの部分に強く表れています
 テンポなんてほとんどルバートと言っていいぐらい自在に伸び縮みさせていますし、強弱もこれまたテンポの変化に上手く乗せてテンポを速めるに従って無理なくクレッシェンドしていき、フレーズの最後ではテンポが落ちるのに合わせて抜けるように自然にディミヌエンドしていきます。さらにポルタメントまで頻繁に加わっているのですから、これはもう、ちょっと他の人には真似できない芸当でしょう。もっとも、現在ではできてもやりたくないと思うかもしれませんが(笑)
 そもそもリヒャルト・シュトラウス本人の演奏スタイル(わたしは聴いていませんが、たぶん「ドン・ファン」も残っているはずです)から考えれば、こういう演奏は明らかに異端でしょうが、逆に主流派とは違う魅力もあるというわけです。もっとも、シュトラウスも自分とは正反対ながらメンゲルベルクの演奏は評価していたそうですが。

 さて、メンゲルベルクの「ドン・ファン」には前述の通り2種類の録音があります。
 一つが1938年のスタジオ録音で、もう一つが1940年のライブのこの録音なのですが、この二つは録音状態と演奏自体に結構大きな違いがあります。
 録音状態では、スタジオ録音の方がはるかに上です。
 スタジオ録音は1938年とライブの1940年より2年ほど前なのに、よほど鮮明で細かい部分までしっかりと聞き取れます。
 一応、ライブの方も響きがまとまっているという良さはあるものの、それぐらいではとてもとてもその差は埋まりません。
 なにより個々の楽器の音の生々しさの差が最も大きく、同じマグロの刺身でもとれたてのピチピチと昨日の売れ残りぐらい一目で分かる違いが出ています。
 その一方で、メロディの歌わせ方などの演奏はライブの方がはるかに自然でしかもやりたい放題やっています。
 例えばテンポを速くしたりする部分では、スタジオ録音の方は後ろからせっつかれているみたいに妙に浮き足立って落ち着かないのに対して、ライブ録音の方は、もっと急激にテンポを速くしているのにもかかわらず、あくまでも自然で、むしろ自らコントロールしてぐいぐい引っ張って行ってるぐらいの積極性がうかがえます。
 ポルタメントもライブの方が圧倒的に多く入っていて、より力の入った歌わせっぷりです。
 結局、録音の良さを買うならスタジオ録音、面白さを取るならライブ録音といったところでしょう。(2004/9/4)


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