P.I.チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

指揮ポール・パレー
独奏Vn:ミッシャ・エルマン
演奏ボストン交響楽団
録音1945年12月1日
カップリングメンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
発売キングレコード
CD番号KICC 2186


このCDを聴いた感想です。


「エルマン」といえば「エルマン・トーン」というのは、ほとんど決り文句みたいなものですが、この演奏では、さすがに衰えたのか、それとも録音が悪いのか、はたまたわたしの耳が悪いだけなのかはわかりませんが、わたしは、エルマンの音色からエルマン・トーンの特長といわれる「甘美さ」「妖艶さ」といった官能性を聴き取る事はできませんでした。
 その代わり、音色よりも、その歌わせ方に個性を感じました。
 一言で言えば、草書のように崩した歌わせ方です。
 一定のテンポを守るという考え方とはおよそ無縁の弾き方で、むしろわざとずらしている節があります。
 楽譜上は小節の頭から音が始まっていても、ちょっと引っ掛けて前に出したり、逆に一呼吸もったいつけて遅れて出て来たりします。
 そもそも曲の最初に出てくる音からして、テンポ通りのタイミングからは二呼吸ぐらい遅く、聴いていて一瞬「あれっ、ソロはどうしたんだろう?」と思った瞬間に悠々と入ってくるといった具合です。
 テクニック自体はかなり衰えていて、指が回らなくてごまかしたり、音を間違えたりといった怪しげな部分も非常に多いのですが、その態度は堂々としたもので、弾いている最中も、ほとんど勝手気ままといった感じに、メロディーの途中の音の一つを急に長く引っ張ったりと、傍若無人に好き放題やっています。
 伴奏も勝手なソロに無理矢理付き合わされているのですが、無茶なテンポ変化の割には良く付いていっています。
 この辺りはさすが老練なパレーといったところでしょうか。それでもずれてしまう事もありますが、そこからズルズルと行かずに、すぐにピタッとソロについていきます。
 おそらく一発録りのライブという事を考えると、驚異的だと思います。
 しかし、実はそれ以上に凄いのがオーケストラです。
 さきほど、ソロとずれてしまう事もあると書きましたが、それはあくまでもソロとオーケストラとの間で、オーケストラ内部ではいくらテンポが揺れ動こうとも全くずれる事なく、縦の線やアンサンブルがピタリと揃っています。
 考えてみれば、パレーは常任指揮者ではなく(もしかしたら客演常任ではあったかもしれませんが)、パレーの指揮で演奏する機会もそれほどあったとは思えないのに、よくまあ、これだけ揃って反応できるものです。
 これも、当時ボストンの常任指揮者であったクーセヴィツキーが無茶苦茶な要求をいつもしていたので、それによって鍛えられていたおかげ(?)かもしれませんが。
 パレーに戻りますが、ソロの伴奏をしているときは、基本的にソロに合わせているのですが、ソロの出番が終り、オーケストラだけになった時には、意外とエルマンに負けないぐらい、大きくテンポを動かしています。
 なんだか今まで他の演奏等で聴いてきたパレーのキレが良いながらもカチッとまとまっていたイメージとはかなり異なっています。
 もっとも、パレーのチャイコフスキーを聴いたのはこれが初めてですから、もしかしたら、パレーのチャイコフスキーはこういうものなのかもしれません。
 ただ、エルマンと同様に大きくテンポを動かすといっても、エルマンとは方向性が正反対で、例えば第1楽章なんかでは、エルマンが途中の音を長く伸ばしたりして音楽を後ろに引っ張って遅くするのに対して、パレーは逆にどんどん前に突っ込んでいきます。
 ソロが入って遅くなった音楽を、オーケストラのみの部分でテンポを巻き上げ、またソロが入ってテンポが遅くなるの繰り返しなのですが、最後、ついにその関係に終止符が打たれます。
 ソロとオーケストラの関係は、基本的にソロが優勢で、オーケストラはソロの動きに合わせざるを得ないのですが、楽章の終盤では、オーケストラの比重が高くなって来て、ほぼ対等に近づいてきます。
 この終盤でパレーは、今までソロに引きずり回されてきた恨みを晴らすかのように、突如として牙を剥きます。
 それまでは、ソロと一緒に演奏する時にはソロに合わせていたのに、そこからはソロが一緒だろうとお構いなく突っ走りだします。
 どんどんテンポが上がって緊張感も高まっていくオーケストラに対して、可哀想なのは老エルマンで、あっという間に付いていけなくなっていくのが、聴いていてもありありとわかります。
 楽章の最後は、ソロとオーケストラの短い音符同士の掛け合いなのですが、猛烈なテンポになっても一糸乱れぬオーケストラがパシッと決めているのに較べて、エルマンはワンテンポ遅れるぐらいはまだしも、完全に乗り遅れて弾けなかったりと、もうボロボロです。
 それでも、その必死な姿勢に打たれたのか、それとも猛烈なテンポに興奮したのか、楽章が終ると同時にブラボーの声と拍手喝さいが沸き起こっています。
 これだけ凄まじい第1楽章に対して、第2楽章は、ゆったりとした楽章ということもあり、いたって平和です。
 暗さや憂鬱な雰囲気はあまり無く、エルマンも思う存分のびのびと歌っています。
 エルマンの節回しの魅力を堪能するには、この楽章が一番向いているのではないでしょうか。
 一方、これまた面白いのが第3楽章です。
 こちらは、第1楽章とは正反対に、飛ばしていくのがエルマンで、後ろに引っ張るのがパレーとオーケストラなのです。
 特に、パレーはこの楽章だけなぜか重厚で、堂々としているのは良いのですがその分フットワークが重く、音自体にはキレがあるので鈍い音では無いのですが、しばしばソロに置いて行かれそうになっています。
 その一方で、エルマンの方も、前へ前へ飛ばして行くのは意欲的ですが、こちらはテクニックが言う事を聞いてくれません。
 テンポを速くすればするほど、どんどん滑って音が抜け落ちて行き、実際、ソロと伴奏が同じフレーズを演奏しているのを較べたら、正直言って伴奏のオーケストラの方がよっぽどしっかりと弾けているのですが、それでもオケを引っ張って前へ突き進んで行く姿は、エルマンのソリストとしてのプライドを感じさせるような気がして、心に響くような輝きが見えました。

 それにしても、エルマンのチャイコフスキーの協奏曲が、ここまで壮絶な演奏とは驚きました。
 この演奏以外の、エルマンのチャイコフスキーの協奏曲は、1929年にバルビローリとロンドン響と録音したものと、さらに下って、1954年にボールトとロンドン・フィルと録音したもの(両方ともスタジオ録音)があるのですが、残念ながら両方とも聴いた事がありません。
 しかし、こうなったらぜひその二つの録音も聴いてみたいものです。(2003/8/23)


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