P.I.チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 <悲愴>

指揮ウィレム・メンゲルベルク
演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音1941年4月22日
販売及び
CD番号
ワーナーミュージック・ジャパン(WPCS-4327〜30)
HISTORY(205254-303)
TELDEC(4509-93673-2)
ARCHIVE DOCUMENTS(ADCD.108)


このCDを聴いた感想です。


 今回はついに<悲愴>の登場です。



 曰く、『これはもう絶対的なレコードである』とか


 曰く、『SP時代にはフルトヴェングラーと人気を二分していた』とか


 数あるメンゲルベルクの演奏の中でも、バッハの「マタイ受難曲」と並んで、最も代表的な演奏と言っても間違いないでしょう。




 しかし、実はわたし、




 メンゲルベルクの悲愴ってあんまり好きではないんです(爆)


 いきなり、問題発言をしてしまいましたが、別に演奏自体が良くないという訳ではありません。
 ただ、わたしには今ひとつ合わなかっただけなのです。

 メンゲルベルクの<悲愴>の録音は、みなさんも良くご存知のように、1937年12月と1941年4月の2回があります。
 本当は、厳密に言うと、ニューヨーク・フィルと部分的に録音していたり、1937年4月に「録音した」という記録のみ残っている幻の録音(今までレコード化されたことは一度もありませんし、原盤の所在も全く不明)があるにはありますが、とりあえず考慮に入れないものとします。

 1937年と演奏と1941年の演奏を比較しますと、4年という月日が経っている事から、まずは録音面において大きな差が出ていると思われることでしょう。
 確かに1937年の録音の方には、「ブーン」という強烈なハムノイズが入っていますが、そこに目をつぶれば、この二つの演奏にはそんなに大きな差があるようには聴こえません。
 厳密に突き合わせて聴き比べれば多少の差は出るのでしょうが、単独で聴いている限りにおいては気にならないぐらいの差です。
 それよりも、同じ演奏での復刻の違いによる差の方が大きく感じるぐらいです。

 演奏に関しては、音のキレ、迫力、スピード感、テンポの伸び縮みの激しさ、全てにおいて、1941年の演奏より1937年の旧録音の方が優っているように感じられます。
 基本的に、メンゲルベルクの演奏というのは、若い頃(といっても、50〜60代ですが)の演奏はスピード感と小気味良いキレがあり、テンポはあまり伸び縮みさせません。
 晩年になってくると、一定したテンポの流れが次第に失われ、綿密に計算してテンポを伸び縮みさせ、息を呑むような緊張感を創り出していました。
 ところが、1937年の演奏は、若い頃の良さである音のキレと、晩年の良さであるテンポの伸び縮みの両方を兼ね備えているのです。
 メンゲルベルクで同じ曲の演奏が2種類残っている場合、普通は、古い録音(つまりメンゲルベルクが若い頃)の方がよりテンポの伸び縮みが少ないスッキリした演奏で、新しくなるほどテンポの伸び縮みが激しくなるのですが、こと<悲愴>に関しては、1941年の録音の方がテンポの伸び縮みが少ないのです。

 実は、この「テンポの伸び縮み」という点が、わたしがメンゲルベルクの<悲愴>があまり好きではない理由と大きく関係しています。
 第1楽章の第2主題(Andanteのゆったりしたメロディーのところ)の歌わせ方は、メンゲルベルクの演奏の大きな特長ですが、この部分のテンポの伸び縮みが、わたしにはとても不自然に聴こえ、どうしても好きになれなかったのです。
 1941年の演奏の方が、テンポの伸び縮みが少なくなり、より自然に聴こえるのです。
 念のために書いておきますと、わたしはテンポの伸び縮み自体が嫌いなわけでありません。
 同じチャイコフスキーでも、第5番の方は、メンゲルベルクの演奏には<悲愴>以上の激しいテンポの揺れがありますが、そちらは気にならないだけではなく、かえって揺れが激しい方が好きなくらいです。

 合奏能力に関しても、1937年の演奏の方が優れていると思います。
 一音一音のクリアさ、粒の揃い方どれをとっても、1937年の方がピタッと揃っています。
 1941年の演奏で、特に粗さが目立つのは第3楽章です。
 特に、最後の部分は「チョット待て」と言いたくなります。
 第3楽章の最後は、1小節半の伸ばしの後、3連符と八分音符一つで「ダダダダ」と四つ音が聞こえる筈なのですが、この演奏では「ダダダダダ」と五つになってしまっています。
 ライブ録音ならともかくとして、スタジオ録音でこれはあまりにも酷いような気がします。

 実は、第3楽章にはこれ以上に目立つ部分があります。
 それは285小節目のトランペットです。
 ここは、3〜4小節前から、テンポが急に遅くなり、3小節前の4拍目にシンバルが一発入った後に、2小節前からテンポが元に戻り、マーチのメロディーがヴァイオリンと木管楽器により高らかに演奏される部分なのですが、この285小節目のトランペットの2・3拍目は明らかに遅れています。
 これはもう音楽に集中して聞いていなくてもハッキリ分かるほどで、ライブでもここまでずれることはそうそう無いと思います。ましてやこの演奏はスタジオ録音なのですから……
 しかし、この遅れには、不思議な点があります。
 まず第一点は、そもそも何故にトランペットは遅れたのかということです。
 真っ先に考えられるのは、3小節前にテンポが遅くなったのに引きづられて、テーマに入ってからも、テンポが元に戻りきれなかったという可能性です。
 しかし、トランペットには285小節より前の283・284小節にも同じ音形があり、それは遅れていない事から、それより後の小節である285小節においてテンポに乗り切れなかったということは無い筈です。
 たまたま音が出なかっただけなのか……よくわかりません。
 もう一点は、なぜメンゲルベルクは修正しなかったのかということです。
 わたしのような素人が聞いても一発で気付くようなズレです。
 ましてや、メンゲルベルクが気付かなかったとは到底思えません。
 一つの可能性としては、時間切れでしょう。
 マトリクス番号を見る限り、この演奏はどの部分も2回以上録り直しています。
 第1楽章の頭の方1/4や第3楽章前半は、4回も録音し直しています。
 録音日が1日しかなかった事を考えると、もしかしたら時間が足りなかったのかもしれません。
 その他の可能性としては、ミスはミスとしてもその他の部分があまりにも良かったので、その部分には目をつぶった、とか、実はあのズレはメンゲルベルクの意図だった、とかいろいろ考えられますが、最初の時間切れも含めて、今ひとつ根拠に欠けています。
 これも、結局よくわかりません。

 今まで、1941年の演奏は、1937年の演奏と較べて、あらゆる面で落ちるような記述をしてきましたが、第4楽章だけは、1941年の演奏の方がゆとりがあり、優れていると思います。
 わたしは、第1楽章の第2主題の歌わせ方が好きではないこともあり、メンゲルベルクの<悲愴>の良さは第4楽章にあると考えています。
 特に第37小節のアンダンテからのヴァイオリンで演奏されるメロディー(DDCisHA-(音名一つが四分音符です))の歌わせ方は、他の人には全く真似できないような独特な雰囲気があります。
 それは、激しさと儚さ、華やかさと悲しさ、という相反するものを両方とも兼ね備えているもので、例えはあまり良くないのですが、人間が死ぬ時に行き着くという『お花畑』を歩いているかのような雰囲気です。

  全てが走馬灯のように凄いスピードで流れて行く。しかし時間は止まっている。
  全ては幻のようでいて現実のようでもある。
  激しく感情が揺り動かされる。しかし一番下は地底湖のように静かである。

 そういう気になってきます。
 1937年の演奏は、この雰囲気がちょっと弱いのです。
 しかも、SPの収録時間の関係から、後半が無闇と速いのです。
 わたしも速い演奏は嫌いではないのですが、あまりにも急ぎすぎているという感じがします。


 わたしは、メンゲルベルクの<悲愴>の演奏があまり好きではないと、冒頭に書きましたが、この演奏が、メンゲルベルクを代表する演奏であることには間違いは無いと思います。
 音のキレ、メロディーの歌わせ方、どれをとっても、メンゲルベルクの演奏の中でも最上位のレベルです。
 ただ、残念なことにわたしの好みとは違っていたというだけです。(2001/7/20)