指揮 | パウル・ヴァン・ケンペン |
演奏 | アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 |
録音 | 1951年12月 |
カップリング | P.I.チャイコフスキー イタリア奇想曲 |
発売 | PHILIPS |
CD番号 | 420 858-2 |
ケンペンのチャイコフスキー交響曲第5番の演奏といえば、まず真っ先に語られるのが終楽章のシンバルです。 みなさんもご存知の通り、もともとこの曲にはシンバルはありません。 しかし、メンゲルベルクやセルといったごく少数の指揮者は、楽譜に無いシンバルを加えて演奏しています。(朝比奈隆氏も、生前、入れて演奏しようかと結構本気で考えた事があるそうですが) ケンペンもその一人なのですが、メンゲルベルクやセルと決定的に異なるのは、他の二人はシンバルを入れているのが一発だけなのに対して、ケンペンだけは二発入れているのです。 わたしの知っている限り、シンバルを二回も叩かしている演奏は、ケンペン以外にありません。 また、入れる場所もちょっと異なっています。 ![]() メンゲルベルクとセルは、第502小節目の第1拍に入れていますが(楽譜(2)の赤い▲の部分)、ケンペンは、同小節と次の小節の第3拍目にそれぞれ一発ずつ入れています(楽譜(2)の青い▲の部分)。 聴いた印象もかなり違いがあり、メンゲルベルクらの方は、シンバルが入っているのが盛り上がった頂点であるため、シンバルはクライマックスの効果をより高めるための補助的な意味合いが強いのに対して、ケンペンの方は、頂点からいったん落ち着いたところで入ってきて、しかも二回も繰り返すため、シンバルの存在が際立ち、ソロのような扱いに近くなっているように感じられます。 もっとも、曲を多少なりとも知っていてこの演奏を知らない人が聴いた時に、きっと「えっ!?」と驚くであろうという点では一緒ですが(笑) 演奏の方は、基本的に一定のテンポを保った固めの演奏です。 音はスタッカート気味に短く切られていて、テンポも決して速いわけではないのですが、途中で動かして遅くしたりする事があまりないため、意外とスピード感があり、どんどん前に突っ込んで行くような勢いがあります。 さらに、ここが一番大きなポイントなのですが、音を短く切り固めに演奏しているのに、響きは凝縮された細く鋭いものではなく、むしろ逆に大きく開放されています。 この辺りが、同じ固めでもセルやライナーとは大きく異なる部分で、フォルテの部分などでは、リミッターを解除したかのように、思う存分元気一杯に演奏させています。 響きが凝縮されていない分、張りつめた緊張感という点では少し弱いのですが、この開放感は、それを補って余りあるほどです。 力強さといい、ほとんど楽器の限界に挑戦したかのような吼えるような音といい、雲を突き抜けたような爽快感に溢れています。 それだけ、限界まで弾き、あるいは鳴らしまくっているのですが、アンサンブルはちゃんと揃っていて、しかもテンポをキープして音を短く切っているため、重かったりもたれたりせず、やりたい放題やっているように見えて、実は案外モダンでしっかりとした演奏なのです。 ただ、昔の演奏らしい点として、この演奏には現在ではほとんどやっていないカットがあります。 それは、第4楽章の第210小節から第303小節までで、金管が第4楽章冒頭のメロディーをフォルテで演奏した後の静かな部分を再現部の頭にかけて丸ごとカットしている事になります。 このカットは、やはり同じコンセルトヘボウ管だからでしょうか、メンゲルベルクが行なっていたカットとほとんど同じです。 正確には、メンゲルベルク(ついでにバルビローリとニューヨーク・フィル響との演奏も)がカットしているのは第210小節から第315小節までなので、始まりは同じですが、終わりはケンペンの方が12小節ほど早く復帰しているわけです。 カット前と後とのつなぎとしては、どちらもそれほど違和感は無いのですが、ケンペンにはあってメンゲルベルクの方ではカットしている12小節間が、その後のメンゲルベルクが復帰してからの動きと同じなので、繰り返しているように聞こえて、ケンペンの方が少しくどく感じます。 もっとも、音楽自体は、ケンペンの方が遥かにスッキリとして爽快ですが。(2003/9/20) |