M.ムソルグスキー 合唱曲「センナヘリブの陥落」

指揮クラウディオ・アバド
演奏ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ・フィルハーモニー合唱団
録音1993年5・9月
カップリングムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」 他
発売ポリドール(Grammophon)
CD番号POCG-1778(445 238-2)


このCDを聴いた感想です。


 このCDは、もともとカップリングの交響詩「はげ山の一夜」の原典版と、前評判の高かったアバドの新録音の組曲「展覧会の絵」を聴くために買ったものです。
 実際、その二つの演奏は、予想通り……いや、予想以上に良い演奏だったのですが、わたしは、この二曲以上に、ほとんどノーマークの「一緒に入ってるんだったらついでに聴いてみるか」ぐらいに考えていた「センナヘリブの陥落」という合唱曲に、強く惹かれました。
 なにぶん初めて聴く曲という事もあり、最初のうちは、何とはなしに聴いていたのですが、聴いてすぐに、その雰囲気に圧倒されました。
 曲の構造は、大まかに分けて、『急−緩−急』という単純なシンメトリカルな構造なんですが、この『急』の部分の雰囲気が魅力的なのです。
 弦楽器の速いピチカートをベースに、合唱が少しずつ上昇していくメロディーで、盛り上げては少し落とし、盛り上げては少しを落としを繰り返しながら、次第に盛り上げていくのですが、同じ、盛り上げては落とすを繰り返していく展開をするブルックナーが『ドイツ』とか『自然』とか『神』とかを感じさせるのに対して、こちらはあくまでもロシア的な『寒さ』や『暗さ』が全体を支配しています。
 まるで夜のような暗さがあり、これがモーツァルトとかでしたら、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のように夜を楽しむという余裕もあるのかもしれませんが、こちらの夜は完全に闇で、しかも朝の光を渇望しているような焦燥感がありありと感じられます。
 このイメージには、次第に、帝政ロシア時代の怨嗟の声を上げている一般庶民の姿が重なってきます。
 あたかも井戸の底のような真っ暗な闇に人々がいて、頭上の光に向かって必死に手を伸ばすが、決して届く事はないといった、希望が無い世界で虐げられている人々の『声無き声』が聞こえてくるようで、心が寒くなってきます。
 それどころか、今、この文章を書いているのは7月で、季節は完全に夏のはずなのに、外には吹雪が吹き荒れているような錯覚すら感じてしまうほどです。
 一方、『緩』の部分も、『嘆きの歌』のようで、ほとんど「神よ! われわれをなぜ見放したもうたか!」と言っているかのような諦念に覆われています。
 全体を通して聴いていると、とてもやりきれない気持ちになるのですが、つまりそれだけ心に強く訴えかけるものがある曲なのです。

 ところでタイトルの「センナヘリブ」とは何かといいますと、わたしも詳しくは知らないのですが、CDに付属しているリーフレットによると、旧約聖書に登場するヘブライの都市だか城だかの名前のようです。
 そもそもこの曲も、バイロンの「ヘブライのメロディー」の一編の詩を基に作られた曲らしいのです。
 また、ムソルグスキーの曲にはよくあるのですが、この曲もムソルグスキー本人のオーケストレーションではなく、後年リムスキー=コルサコフがオーケストレーションしたものです。(2002/7/19)


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