M.ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」

独奏ピアノ:ヴァレリー・アファナシエフ
録音1991年6月3〜6日
カップリングムソルグスキー ピアノ小品
発売日本コロンビア(DENON)
CD番号COCO-9046


このCDを聴いた感想です。


 たぶん、世界で最も演奏時間の長い「展覧会の絵」ではないでしょうか。

 いや、このCDを購入する前から噂は聞いていました。
 ただ、これほどまでに遅いとは想像していませんでした。

 最初のプロムナードを聴いているときは、「まあ、たしかに遅いけど、そんなに取りたてて遅いというほどではないかなぁ」と思っていました。
 しかし、次の「グノームス」を聴いた時には、途中で、もしかしたらCDがストップしたんじゃないかと何度もCDプレイヤーをチェックしたくなりました。
 音が出ている部分は、それほど遅いわけではないんです。
 ただ、音と音の間の空白が異常に長いのです。
 フレーズからフレーズへ移る時、まるでそこでCDを一度止めたかのように長い空白があり、次にフレーズが入ってくると、それは元の速いテンポなのです。
 この長い空白は、たしかに緊張感を高めるという効果もあるのですが、それ以上に、前の音の余韻を感じるという意味合いが強く感じられます。
 イメージとしては、散文に対する韻文、しかも俳句のように言葉として書かれている部分はごく一部で、書かれていない行間の部分にも高い重要性があるのとよく似ているかもしれません。
 音の余韻を感じるという点では、後半の「カタコンブ」も共通しています。
 和音と和音の間に長い空白があり、和音の残響とその余韻を感じ取る事で、和音の塊がそれぞれ単独で完結しているかのように感じて来て、まるでテンポが遥か彼方に消え去ってしまい、鐘のように特に間隔を決めずに叩いているかのように思えて来ます。

 他の曲にも、ただ遅いだけではなく、何らかの意図が目にとまりやすい形で表れているように感じられます。

 例えば「ビドゥオ」
 テンポが遅いのは勿論なんですが、遅いだけであれば、もともと重々しい曲調ですから変わっているというほどでもありません。
 しかし、アファナシエフの演奏は、アタックが強く、より攻撃的な演奏です。
 しかも、それほど重々しくないのです。
 音域的には両手とも低い位置ではあるのですが、その中でも高音に重点がおかれています。
 これは何を表したいのか?
 わたしもアファナシエフ本人ではありませんので、本当はどうなのかわかりませんが、わたしには、よく言われる「抑圧された民衆」というだけではなく、そこから積極的な行動へ移った民衆の叫びのように感じられました。

「ビドゥオ」ほど具体的ではありませんが、他にも「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では、二人の対照的なユダヤ人を描いた曲にもかかわらず、メロディーが分断されがちで、人間らしさがあまりありません。
 人間よりも、むしろ人間の力ではどうにもならない大自然といった雰囲気で、人間との交渉を一切拒絶しているかのような冷たさが感じられます。
 それと較べて、その次のプロムナードの方が、かえって人間らしい暖かさを感じます。
 テンポは激しく伸び縮みしているのですが、その動きが段階的でより自然に変っているためでしょう。

 一方、「鶏の足の上の小屋(ババ・ヤガーの小屋)」は、グロテスクという点で、最も原曲に忠実なのかもしれません。
 遅いテンポはともかくとしても、アタックは鋭く、動きはカクカクしていますし、さらにスタッカートで音を短く切っているため、ひどく寸足らずで、異常さがより浮き立っています。
 わたしは、グノームスよりも、むしろこの曲の方が、足の短いガニ股の小人が蠢いている姿を思い起こさせます。

 最後の「キエフの大門」に至っては、和音の薄さとそれを可能にした表現の幅の広さに驚かされました。
 キエフの大門でのフォルテの和音であれば、大抵は分厚く響かせるものでしょう。
 しかし、アファナシエフは低音と高音を強調して、和音の中核となる中音域をあまり響かせません。
 その代わり、音の動きを強調する事で、あたかもポリフォニーの音楽のように、幾重にもメロディーを浮かび上がらせています。
 一方、コラールのようなピアノの部分では、打って変わって和音の移り変わりを主体にして荘厳な雰囲気を創り出しています。
 さらにフォルテに戻ってからは、和音はどんどん解体され、完全にメロディー同士の組み合わせになって行きます。
 キエフの大門なんて、分厚い和音の連続みたいな曲なのに、これでちゃんと聴き応えする音楽になっているのですから不思議です。

 演奏しているヴァレリー・アファナシエフは、ピアニストとしてだけでなく、最近は指揮活動も行なっていますし、作家でもあります。
 この展覧会の絵にしても、戯曲にしているぐらいです。
 ただ、わたしにとって重要なのは、そういった点ではありません。
 わたしにとって、最も重要なのは………実は、このアファナシエフ、何を隠そうメンゲルベルクの愛好家の一人だそうなのです。
 いやー、こんなところで仲間を発見できるとは思いもよりませんでした(笑)(2003/2/1)


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