M.ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」

リムスキー=コルサコフ 編曲

指揮ピエール・デルヴォー
演奏パリ音楽院管弦楽団
録音1957年1月〜3月
カップリンググリンカ カマリンスカヤ 他
「LES RARISSIMES DE PIERRE DERVAUX」の一部
発売WMI
CD番号7243 5 85216 2 7


このCDを聴いた感想です。


 この演奏の主役はシンバルとバスドラムです。
 そう言い切りたくなるぐらいシンバルとバスドラムが強い存在感を放っています。
 それも、シンバルとバスドラムというと普通連想するような華やかな開放的な響きではなく、ズシリとした腹に響くような重い一撃です。
 まるで実力者が放った一言の様に、他がどれだけ騒いでいても、一瞬のうちに音楽が一点に集約されます。
 冒頭からその傾向はハッキリと表れていて、高弦や木管の細かい動きに、金管と低弦の息の長いメロディーが乗って、おどろおどろしい雰囲気が次第に高まっていったところで、第24、25小節のシンバルとバスドラムの2発が、音楽を一気に引き締めます。ここは、全楽器がシンバルとバスドラムと同様の動きをしているのですが、シンバルとバスドラムの存在感は他の全てを上回っています。実は音量的にはそれほど飛びぬけて大きく出しているのではなく、バランスとしては他とそれほど変わらないのに、妙に存在感があります。要因としては、これは主にシンバルについてですが、響きがだいぶ長く残っていることが大きいのではないかと思います。もともと楽譜上も、全楽器が同じ動きといいつつ、シンバルとバスドラムは四分音符なのに対して、他の楽器(ティンパニーを含めて)は八分音符と、シンバルとバスドラムだけ長めになっています(その代わり、シンバルとバスドラムには他の楽器には指定があるスフォルツァンドの指定が無い)。だから、バスドラムとシンバルの響きが残ること自体は楽譜どおりです。しかし、他の指揮者の演奏と較べても明らかに長く響きが残っています。この長く残る響きが一撃の重みの余波を表しているようで、より存在感を強めているのです。さらに言うと、この響きの残り方も、よく曲のクライマックスで大きく叩いたような伸びた響きではありません。音自体は短く、それこそ楽譜どおり四分音符で止めておきながら、余韻だけがスッと流れるのです。このため音自体は非常に締まった音で、まさに重みのある一撃になっています。
 後半でも、第230小節目や第250、253小節目のような、テンポを遅めにして重くする部分では、特に存在感があり、まさに全体を見渡すかのように場を支配しています。
 それにしても、パリ音楽院管のパーカッションというのは、今まで聴いた演奏ではどうも危なっかしく、悪い意味で目立っていたものですが、この演奏では、珍しく良い意味で目立っています。
 この録音で一つ残念なのは、1957年という既にステレオ録音がポツポツ出始めた時期の録音にしてはモノラルということです。モノラルの最末期ですから音自体はそう悪いものではありませんが、ステレオではないというのは、やはり残念です。もっとも、実はこの録音のほぼ一年後の1958年4月にも、また同じ「はげ山の一夜」を、今度は首席指揮者のクリュイタンスと録音していて、この時もまだモノラルなのです。ちなみにクリュイタンスは、そのまた半年後の同年11月に、今度はフィルハーモニア管とやっとステレオ録音することになります。(2011/8/6)


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