指揮 | ヘルベルト・ケーゲル |
出演 | ソプラノ:アリソン・ハーガン コントラルト:ウーテ・ワルター テナー :エーバーハルト・ヴィッカース バス :コロシュ・コヴァーチュ |
演奏 | ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン放送合唱団 ライプツィヒ放送合唱団 |
録音 | 1982・3年 |
販売 | Capriccio |
CD番号 | 49 314 |
第1楽章から第3楽章までを聴いた時点では、いくつか気付いた点はあれども、良くも悪くも、ノーマルな演奏という印象を受けました。 それが、第4楽章、特に歌が出てくる辺りから、にわかに異様な雰囲気になってきます。 一言で言えば、音楽が『粘って』いるのです。 音楽が粘っているといっても、メンゲルベルクのように、テンポを伸び縮みさせて、フレーズの最後をゆっくりと演奏したりするような粘り方ではなく、テンポ自体はほぼ一定を保っています。 ただ、そのテンポは非常にゆっくりで、さらに一音一音を、勿体つけるように丁寧に、オーバーなまでに感情を込めて演奏することで粘りが生まれています。 言い換えれば、細部を虫眼鏡で拡大したように、極端に強調した演奏とも言えます。 このテンポの遅さは、楽譜上のテンポ指定がもともとアダージョのように遅いものはそれほど極端ではないのですが、アレグロのように楽譜上の指定が速い部分ほど大げさにテンポを落としています。 終盤の速いテンポの部分において、細かい動きで伴奏しているヴァイオリンやチェロの音が、一つ一つの音までハッキリと聞こえた演奏は、これが初めてです。 他にも特徴が出ているのが、楽章の中ほどで、合唱全体がフォルテで『Freude〜』と、有名な歓喜の歌を歌うところです。 この部分は、その直前に木管楽器がピアノでメロディーの予兆を垣間見せて緊張感を高めたところで、合唱が高らかに歓喜の歌を歌い上げて一気に興奮の極みに達する場面ですから、多くの演奏では、入ってくる合唱は、堂々かつ溢れんばかりのエネルギーと推進力に満ちていて、それに合わせてテンポも一段階アップするのですが、ケーゲルの演奏では、かなり趣が異なっています。 まず、テンポアップしていません。逆にテンポが遅くなっています。 その上、合唱は、一つ一つの単語をまるで念を押しているかのように、じっくりと重みをつけて歌っています。 まるで、一歩ずつ踏みしめながら歩いているようなもので、勢いとかスピード感とか推進力とかがほとんどなく、上から圧し掛かってくるような重苦しさがあります。 それに加えて、途中で合の手を入れてくるトランペットだけが、わざとらしいほど明るく強調してあり、表面的には喜んでいるように見えるものの内心の伴わないハリボテのような盛り上がりをつくりだしています。 こういうおよそ第9番とは思えないようなドロドロした屈折した雰囲気というのはちょっと珍しく、個人的にはなかなか好きだったりしますが。 さらに、これだけゆっくりとしたテンポで粘っているのですから、最後のプレスティッシモなんて、さぞや凄い事になっているだろうかと思えば、最後は意外と普通に、若干遅めとはいえそれほど極端ではないテンポで終っています。 こういう意外性も、この演奏の変わった点で、変わった解釈と普通の解釈が規則性など何も無いかのようにバラバラに取り入れられています。 例えば、前半のクライマックスの、合唱がフォルテで「vor Gott」と思いっきり引っ張るところで、ケーゲルは『vor』と『Gott』の間で一瞬空白を開けて、劇的な効果を出しています。 ところが、『Gott』の後は、間をとって余韻を十分に堪能させたりせず、音が切れた瞬間には、もうすぐ次のトルコ行進曲の最初の音が入って来るのです。 ドラマティックな効果を狙い続けるのでもなく、かといってドライに徹しているわけでもない、中途半端ともいえるのでしょうが、こういう妙な温度差は不思議と印象に残りました。 第4楽章の事ばかり書きましたので、少しは前半の三つの楽章についての印象も書いておきましょう。 第1楽章は、テンポが遅い上に重く、あまり好きにはなれなかったのですが、第2楽章は、硬くキレの良い音で、わたし好みの演奏です。特に、リズムが強調されていてスピード感もあり、真っ直ぐ前に進んでいく点が気に入りました。 第3楽章は、テンポが速く、あっさりと演奏されています。ただ、あっさりといっても無表情ではなく、あまり細かい点に凝りすぎず、大きなスパンで歌わせた演奏で、もしかしたら、しつこいほど細部へのこだわりを見せる第4楽章との対比になっているのかもしれません。(2003/6/21) |