L.v.ベートーヴェン 「コリオラン」序曲

指揮ウィレム・メンゲルベルク
演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音1931年6月1日
発売及び
CD番号
Pearl(GEMM CDS 9018)
Refrain(PMCD-3)
東芝EMI(TOCE-8191〜99)
NAXOS(8.110864)


このCDを聴いた感想です。


 3種類残っているメンゲルベルクの「コリオラン」序曲の中で、最後の録音にあたります。
 もっとも、最後といっても1931年ですからメンゲルベルクはまだ60歳。全ての録音の中ではまだまだ中期ぐらいですが。
 3種類の録音を較べて、この録音の特長は、なんといっても音質の良さが挙げられます。
 1922年のニューヨーク・フィルとの録音は機械録音なので、比較にならないぐらい差がありますし、1926年の録音とは、両方既に電気録音ですが、さすがに5年間での技術の進歩ははっきりと表れています。
 それが最もよくわかるのが音の大きいフォルテの部分です。
 音が小さいピアノの部分は、実はどっちの録音もさほど違いがあるようには聞こえません。しかし、フォルテの部分は迫力に格段の差があります。1926年の方が「たぶん強い音を出しているんだろうな」と、かなり想像で補わなければならないぐらい音が入りきってないのに対して、1931年の方は、もちろん戦後のステレオ録音なんかとは比べ物にならないとはいえ、ちゃんと「うん。たしかにフォルテだ」とわかるぐらい力強く聞こえます。
 演奏の方では、旧録音より一段と細部まで作りこんだ手の込んだ演奏になっています。
 例えば、メロディーの歌わせ方です。
 たしかに良く歌ってます。しかしその歌い方はメロディー全体をパッと感覚で捉えた大きな歌わせ方ではありません。
 メロディーを構成する一つ一つの音を歌わせて、その積み重ねでメロディーにするという、ちょうど反対のやり方です。
 もともとメンゲルベルクの歌わせ方はそういう傾向が強いのですが、この1931年の録音ではそれがさらに徹底されています。
 メロディーの中の一つの音について、その音がどう歌ったら最も悲劇的な雰囲気が出せるかを考え、その次の音も同じようにより悲劇的な音になるように考えて演奏させます。
 これが繰り返され積み重なっていくことで、「悲劇的だ」「悲劇的だ」「徹底的に悲劇的だ」というふうに、某宗教団体みたいに脳に叩き込まれ、最後は凄絶なまでに悲劇的に思えてくるという、なかなか素晴らしい効果を発揮しています。
 しかも、もう一つ上手いのは、これだけ細部にこだわっておきながら、末端肥大症のような鈍い重さがあまりないところです。
 曲全体に一貫する大きな流れがあり、一つ一つの音符を個別に歌っていても、例えば強弱の変化について、1小節先の音や数小節先の音でどこまで変えていくか、という点が考えられていて、小節の最初の音にアクセントつくパターンが連続する場合も、次第に迫力を増しながら頂点に至るまでの盛り上がり方が自然で、流れに乗っています。
 また、ベースとなるテンポ自体も意外と速く、これも重くなり過ぎるのを防いでいます。
 メンゲルベルクの三つの演奏の中では、この1931年の演奏はもっとも長い7分40秒ぐらいの演奏時間ですが、他の指揮者の演奏はさらに長く、端正なセルでも8分、人によっては9分以上かかっている演奏すらあります。
 もちろん、中には6分ちょっとというダッシュで駆け抜けたライナーの超高速演奏もありますが、それはまあ別とすればメンゲルベルクの演奏時間は短い方で、そのままテンポに反映されています。(2004/10/2)


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