J.シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調

指揮コリン・デイヴィス
演奏ボストン交響楽団
録音1975年1月4〜6日
カップリングシベリウス 交響曲第2番
発売マーキュリー・ミュージックエンタテインメント(PHILIPS)
CD番号PHCP-10596


このCDを聴いた感想です。


 このシベリウスの交響曲第5番という曲と、コリン・デイヴィスのボストン響との演奏は、第一印象というものがいかに当てにならないかを、わたしに教えてくれました。

 コリン・デイヴィスとの演奏はさておき、まずシベリウスの交響曲第5番という曲ですが、わたしがこの曲を初めて聴いたのは、ほぼ10年位前で、わたしがまだ大学生の頃でした。
 たまたま、大学の先輩が大学選抜のようなオーケストラに出演し、その演奏会がシベリウスの第5番だったのです。
 で、そのときの印象ですが……
『ひたすら眠かった』
 ということしか記憶に残っていません。
 とにかく、約35分間、ひたすら眠気を抑えるのに必死で、最後の最強音の和音が連続してくるところまで来て、ようやく救われたような気分になりました。
 それ以来、わたしは『シベリウスの第5番なんてもう懲り懲り』と思ったのです。
 ただ、念のために書いておきますが、これは必ずしもこの大学選抜のオーケストラの演奏がつまらない演奏だったとは限りません。
 例えどんなに名演奏だったといわれる演奏でも、わたし自身のモチベーションがしっかりしていないと、わたしにとっては眠かったり、つまらない演奏に感じてしまうのです。
 これが、一発勝負の生演奏の怖いところで、聴き直しという敗者復活戦のできるCDと大きく異なります。
 この点が、わたしが演奏会に生演奏を聴きに行くことを好まない理由の一つでもあります。

 さて、それから何年かは、この第5番とは無縁の生活が続き、わたしも聴いたことすら半分忘れかけていました。
 そんな時に、思わぬ形で再会を果たしたのです。
 今から、約5年程前に、大学時代の友人が結婚することになり、その結婚式の時に、わたしも若干お手伝いを致しました。
 その新郎新婦が新婚旅行に行った先というのが、実はフィンランドでした。
 なんでも、『オーロラを見たい』という、新婦のたっての希望だったらしいのですが、まあ、それはともかく。
 そうして、後日、新婚夫婦から新婚旅行のお土産として渡されたのが、シベリウスの交響曲第5番のスコアだったのです。
 しかし、およそ新婚旅行のお土産としては相応しくないものだと思いませんか?
 わたしも、その点が気になったので、新婚夫婦に理由を訊ねてみました。
 すると、答えて曰く……
『他に喜びそうなものが無かったのでそれにした』と。
 まったく、わたしの事を一体どういう風に思っているのでしょうか(涙)
 と言いつつ、他の何よりもスコアを貰って喜んだわたしの方にも問題があるのですが(笑)

 まあ、そういった訳で、思わぬ形でスコアが手に入ったこともあり、せっかくですから、改めてCDを買って聴きなおすことにしたのです。
 その時購入したのが、バルビローリとハレ管の演奏と、このコリン・デイヴィスとボストン響の2枚でした。
 さて、スコアを見ながら、久し振りに聴いてみたのですが、改めて聴き直すと、実はこの曲が非常に魅力的であることに気がつきました。
 広大な森林を思わせるかのようなスケールの大きさと、静けさ、暖かさを兼ね備えた曲であることがわかったのです。
 しかし、これを感じたのは、あくまでもバルビローリの演奏の方でした。
 コリン・デイヴィスの方は、バルビローリの演奏と較べると、あまりにも地味で面白みが無い演奏に聞こえました。
 これは、以前わたしが書いた感想の中からも明らかで、2000年7月に書いたハイドンの交響曲第104番の感想で、ハッキリと『好きになれない』と言い切っています。

 そして話は現在(2002年3月)に戻ります。
 先日、わたしは何気なく、長いこと聴いていなかったコリン・デイヴィスの演奏を聴き直してみる気になりました。
 そこで、ようやく、このコリン・デイヴィスのシベリウス第5番の魅力を感じることができたのです。
 第一印象の二回分の失敗を乗り越えるのに、実に10年かかってしまったというわけです。
 特に、二回目に当たる、コリン・デイヴィスの演奏の悪印象の払拭では、CDのありがたさを実感しました。
 初めは大した事無いと思っていたこの演奏の魅力に気がつくことができたのも、繰り返し視聴できるというCDの利点があったからこそです。
 もし、これが実演なら、つまらない演奏という印象を一度抱いたら、もうそれっきりなのですから。

 わたしは、さきほど、「最初にコリン・デイヴィスの演奏を聴いたとはは、『地味』という印象を受けた」と書きました。
 たしかに、きつくアタックをつけたりもしませんし、フォルテだからといって叫ぶようなことはせず、最後の最強音の和音ですら、必要以上に強調させたりすることはなく、響きを損なわないように抑えています。
 そういう意味では、『地味』という印象は、あながち間違っていたわけではありませんでした。
 しかし、コリン・デイヴィスの演奏は、そういう派手さを求めるべき演奏ではなかったのです。
 寧ろ、作品の雰囲気を十分に感じ、作品そのものの魅力を楽しむ演奏だったのです。
 実際、コリン・デイヴィスの演奏は、シベリウスの第5番という曲の魅力を改めてわたしに教えてくれました。

 例えば、冒頭の早朝のような静けさと清々しさ。
 例えば、第2楽章(Andante mosso,quasi allegretto)の、流れるような柔らかな雰囲気の背後にある、大森林を思わせるかのような広大さ。
 例えば、第3楽章(Allegro molto)の、活発な昼間のような明るさの底にある、硬い北の大地のような静けさ。

 それらを、コリン・デイヴィスは、必要以上に強調する事無く、しかし十分に感じさせてくれます。
 これに気がついた事で、この演奏は、わたしにとって大切なものとなったのです。

 次は、定評のあるベルグルンド辺りを是非聴いてみたいところですね。(2001/3/22)