J.S.バッハ マタイ受難曲

指揮ヘルベルト・フォン・カラヤン
出演エヴァンゲリスト:ワルター・ルートヴィヒ
イエス:パウル・シェフラー
ソプラノ:イルムガルト・ゼーフリート
アルト:キャスリーン・フェリア
バス:オットー・エーデルマン
演奏ウィーン交響楽団
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン少年合唱団
録音1950年6月9日
発売ANDANTE
CD番号AND1170


このCDを聴いた感想です。


 カラヤンのマタイ受難曲は、1972年から1973年にかけて録音した、ベルリン・フィルとのスタジオ録音がありますが、この演奏は、それよりも20年以上前、1950年に当時率いていたウィーン交響楽団を指揮したライブのものです。
 その頃は、まだベルリン・フィルにはフルトヴェングラーが健在で、カラヤンは、ウィーン・フィルからも締め出されていました。そこで、ウィーン響を率いて、いわゆる「カラヤン・チクルス」を繰り広げて、フルトヴェングラーにどんどんプレッシャーをかけていたわけです。このマタイ受難曲に関しても、合唱のウィーン楽友協会合唱団が、フルトヴェングラーから、このカラヤンとの演奏会の4ヶ月前ぐらいに同じマタイ受難曲を演奏するので、そのための合唱を依頼されたのに、それを断ってしまったために、フルトヴェングラーが激怒したというエピソードがあるそうです。もっとも、どこまで本当の話なのでしょうかね。この手の対立話は、火の無い所にも平気で煙がモクモクと立ちまくるのはよくある事なので、面白エピソード程度に考えています。
 まあ、フルトヴェングラーの話は置いておいて、カラヤンのマタイ受難曲の方に話を戻します。演奏しているウィーン交響楽団とウィーン楽友協会合唱団がカラヤンにとって馴染みの深い団体である点も注目ですが、なにより真っ先に目に付くのが独唱者の豪華さです。
 エヴァンゲリスト(福音史家)はブルーノ・キッテル指揮のマタイ受難曲でもエヴァンゲリストを務めていたワルター・ルートヴィヒですし、イエスは、ワーグナーなどでも定評のあったパウル・シェフラー、ソプラノ・ソロはオペラやリートで活躍したイルムガルト・ゼーフリート、バス・ソロは「バイロイトの第9」でのソロも担当したオットー・エーデルマン、脇役に近い祭司長ですら当時デビューしたて弱冠21歳のヴァルター・ベリーなのですから驚きます。
 しかし、何といっても一番のメインは、アルト・ソロのキャスリーン・フェリアでしょう。しかも、ちょっと珍しいことにちゃんと原語のドイツ語で歌っています。
 フェリアのマタイ受難曲は、わたしの知っている限りでは、このカラヤンとの演奏を別にして、全曲版が一つと、いくつかのアリアだけ抜き出した抜粋が何種類かあります。しかし、どれも英語による歌唱で、ドイツ語ではありません。
 そんな貴重なドイツ語による歌唱である上に、歌い方も非常に表現が豊かです。
 もともとカラヤンの演奏自体、表現豊かで、どちらかというとドラマティックな方向にあり、その中でも、フェリアの歌唱はさらに飛び抜けています。
 アルト・ソロというと、やはり第47曲の「憐れみたまえ、わが神よ」です。フェリアは、まず声の厚みから違います。響きがあり、どんなに感情を込めてもつぶれることなく会場の隅々まで届いているように張りがあります。さらに強弱の変化も驚異的です。マイクが歌手のすぐに近くにあるからだとは思いますが、特にピアノからフォルテのへのクレッシェンドは、これぐらいまで大きくなるだろうという予想を遥かに超えて、一体とどこまでクレッシェンドしていくのだろうかと怖くなってくるほど、際限なく強くなっていき、最後はたぶんマイクに入りきっていません。
 この圧倒的な響きと表現力で歌いこむのですから、これはもうグンと胸に迫ってきます。
 しかも、表現が豊かといっても、例えばメンゲルベルクの演奏のように、音楽が崩れかけるほど感情を強く表に出すのではなく、形はきちんと保ったまま歌いこんでいます。そのためドッシリと安定感があり、悔悟の気持ちがむしろ強く伝わってくるのです。
 ちなみにこのアリアは、アルト・ソロの他に、ヴァイオリン・ソロが重要なパートを担っています。この演奏では、どうしてもアルト・ソロの方に目が行きがちですが、改めて注目すると、ヴァイオリン・ソロもなかなか良い味を出しています。これまた感情を強く表に出すのではなく、むしろしっかりと弾く方に重点を置いています。しかし、スピード感があるため、アルト・ソロの悔悟の念を受け止めて、それでも前を見て進んで行こうという意志がこもっているように聞こえます。それでいて音色は少し軽く、強い意志がありながら、どことなく儚い感じも出ているのです。
 一方、フェリア以外のソリストも、フェリアほど強烈ではないにしても、かなり表現豊かに歌っていて、曲全体も、かなりドラマティックな演奏になっています。
 特にエヴァンゲリストなどのレチタティーヴォなどは、テンポを大きく伸び縮みさせ、メロディーを聞かせるというよりも、内容を強く訴えかけてきます。
 合唱も、綺麗に聞かせることよりも、時に激しく、時に暗く沈み、コラールでは悔いる気持ちがしみじみと感じられるなど、聴いていて、物語にどんどん引き込まれます。
 後年の、ベルリン・フィルとの重厚な演奏とはまた違う、感情と表現が豊かな、物語性の感じられる演奏です。
 ただ、一つ惜しいことに、録音があまりよくありません。
 1950年のライブ録音ですから、当時としては標準程度でしょう。マイクがどうやらステージの前に置かれているようで、ソリストの声は非常によく入っています。そういう点では、フェリアの歌唱を聴くにはかなり満足できるのに対して、オーケストラは、だいぶ後ろに引っ込んでいます。さらに後ろにいると思われる合唱はかなり苦しく、聞こえないわけではなく、全体的な雰囲気や迫力は十分伝わってくるものの、細かい動きなどはかなり潰れてしまっています。
 もう一つ、注意して頂きたい事があります。
 今回取り上げるCDは、ANDANTEから出たもので、これは問題ありません。わたしはもう一つVeronaから出たCD(27070/72)を持っているのですが、これが問題大有りです。
 チャプターの切り方がかなり大雑把で3〜4曲ぐらい平気で一つにまとめられています。まあ、こちらはまだ許せるとして、驚いたのが、曲の途中でCDを跨っていたことです。いや、正確には1枚目の最後と2枚目の最初の曲(ちなみに第29曲の「われは悦びて身をかがめ十字架と苦杯を受けまつらん。われ救い主に倣いて飲むなれば。」ですが)をダブらせて収録しています。たしかに、他の演奏でも、つくりの丁寧なCDでは、曲間すら正確に取るために、1枚目の最後と2枚目の最初に同じ曲を入れることはあります。しかし、その場合は、全く同じトラックになるべきでしょう。ところが、このCDでは、1枚目の最後に収録されているトラックでは、途中でぶった切れ、2枚目の最初のトラックは、前奏の途中からフェードインをしてくるという、かなり理解に苦しむものでした。さすがにこういうCDは初めてで、ちょっと酷いのではないかと思いました。(2010/7/3)


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