J.シュトラウス(子) 常動曲

指揮ウィレム・メンゲルベルク
演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音1932年5月11日
カップリングスッペ 「詩人と農夫」序曲 他
「メンゲルベルクの芸術」の一部
販売東芝EMI
CD番号TOCE-8191〜99


このCDを聴いた感想です。


 メンゲルベルクの演奏の中で、最もテンポが一定にキープされた演奏だと思います。

 それ以前に、そもそもこの曲でテンポを動かした演奏というのも、ちょっと想像し難い気がしますが。

 この演奏は、スタジオ録音ですが、あたかもライブ録音のようなノリや楽しげな雰囲気があります。
 テンポ自体は、そう速い方では無いのですが、軽快な弦楽器のピチカートと相まって、メロディーが、どんどん前へ前へと調子よく進んでいきます。
 メンゲルベルクは、この曲の演奏においては、どこかにクライマックスを作ったり、もったいぶったりすることはありません。
 また、ベートーヴェン等の演奏で聴かせるような、叩いても壊れない強靭な硬さや厳しさもありません。
 あくまでも明るく楽しくという、普段のメンゲルベルクからはおよそかけ離れたノリで演奏しています。

 しかし、考えてみれば、ヨハン・シュトラウスのこの曲に相応しいのは正にこの雰囲気です。

 メンゲルベルクというと、どんな曲を演奏しても、良くも悪くもメンゲルベルクの色に染め上げるという印象がありますが、実は、メンゲルベルクが作曲家によって柔軟に雰囲気を変えているということが、この曲の演奏からも伺うことができます。
 ただ、メロディーの歌わせ方がかなり粘っているところが、小曲にもいかに全力で演奏しているかがわかりますし、同時に若干重くなっている原因であったりもします。
 もちろん、重くなっているといっても、ベートーヴェンやチャイコフスキーの演奏とは比べ物にならないぐらい僅かなものです。
 でもまあ、こういう風に粘るところが、メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管の個性なんでしょうね。

 この演奏で、一点だけ不可解な点があります。
 それは、演奏を終わらせる場所です。

 みなさんもご存知の通り、この「常動曲」という曲は、8小節ほどの短い主題がどんどん展開していく変奏曲のような曲で、さらに、楽譜の最後まで曲が進むと、ダ・カーポもしくはダル・セーニョと書いてあり(すみません。楽譜が手元に無いので正確なところはわかりませんが、おそらくどちらくの指示があるはずです)、また曲の頭の方に戻って繰り返して行き、曲が永遠に続いていくのです。
 だからこそ「常動曲」という題名なのですが、演奏する際には、永遠には続けていられないので、何回か繰り返したところで、指揮者の判断で終りにします。
 しかも、ほとんどの場合は、繰り返さず一回演奏したところで終りにしています。

 メンゲルベルクは、珍しく楽譜の終りまで演奏した後、曲の頭に戻って繰り返しています。
 いや、曲の頭に戻ること自体は別にかまわないのです。もともと楽譜にはそういう指示があるわけですから。
 問題なのは、頭に戻った後、66小節演奏したところで急に終わってることです。
 終わる直前というのは、ファゴット主体の変奏部分で、お世辞にも盛り上がる場所とは言えず、むしろ曲の中でも最も静かな部分です。
 それが、静かな部分が終わった後、銅鑼が小さく鳴って急に終わってしまうものですから、よっぽど注意して聴いていないと、終わったことにすら気が付きません。
 聴いてる方としては、「えっ!? いつのまに終わったの?」と聞き返したくなってしまいます。
 なんだかとっても尻切れトンボです。

 他の指揮者の演奏と比べても繰り返している分だけ演奏時間はむしろ長い方ですから、収録時間の都合とも考えられません。
 ぜひメンゲルベルク本人に訊いてみたいところです。

 録音はかなり良い方ではないでしょうか。
 スタジオ録音ということもあるのでしょうが、1930年代の前半の録音としては、各楽器もなかなか鮮明に聞こえます。
 さらに、楽器の音が鮮明に聞こえる場合にありがちな、楽器がそれぞれバラバラに分かれて聞こえるといった事も無く、ちゃんと全体でまとまって聞こえてきます。

 この曲のCDは、今回取り上げた東芝EMIの他に、Pearlからも「The Complete Columbia Recordings Volume Two」という形で出ています。
 この二つのCDは、わたしが聴いた限りでは、ほとんど差はありません。
 わたしは東芝EMIの方が、ほんの僅かにPearlよりも録音が良いように思えたのですが、ここまでくると、どっちかというと再生機器による違いの方が大きいのではないかと思います。(2001/7/6)