J.ブラームス セレナード第2番 イ長調

指揮ガリー・ベルティーニ
演奏ウィーン交響楽団
録音1982年5月28〜30日
カップリングブラームス セレナード第1番
発売ポリグラム(ORFEO)
CD番号IDC 7044(C 008 101 A)


このCDを聴いた感想です。


 第1番も含めてこの二つのセレナードは、作品番号がそれぞれ11と16ということからも想像できる通り、交響曲を書くにあたっての腕試しの意味合いもあった「ハイドンの主題による変奏曲」よりもさらに前、ブラームスがまだ24、5の本当に若い頃の作品です。
 しかし、とても習作とは言えないぐらいの完成度を既に備えています。
 第1番と第2番は、両方ともセレナードということで明るく、しかも刺激的なところが少ないため安心して聴けるという点では共通していますが、ちゃんとそれぞれに性格付けがあり、規模が大きめ(といってもそう大層な大きさではありませんが)で華やかな第1番と少し小さな編成でのんびりと地味な第2番というぐあいに、ベースとなる明るさは共通していながら明確に雰囲気に違いがあります。
 で、今回取り上げるのが地味な第2番なのですが、この第2番、実は非常に特異な特徴があります。
 なんとこの曲には、ヴァイオリンが存在しないのです。
 編成は、トランペットやティンパニー等の打楽器が入らない小規模なものとはいえ、木管は普通の2管編成(+ピッコロ)ですし、さらにホルンも2本加わっているという、ハイドンやモーツァルトの晩年あたりでは普通に用いられていた古典的な編成です。
 でも、ヴァイオリンはバッサリとカットされています。
 特定の偏った編成のオーケストラのために書かれた曲ならいざ知らず、ごくごく一般的な編成のオーケストラで演奏されることを想定して書かれていて、しかもそれなりの規模があるのにヴァイオリンが無い曲というのは非常に珍しいのではないでしょうか。
 それこそかなり特殊な編成になりますがJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第6番くらいで、わたしは他には全く知りません。これが斬新なのかはわかりませんが、少なくともあっと驚かされましたし、知らずに聞いていればまずわからないぐらい響きは自然で、ヴァイオリンが無くてもこれだけ普通の曲になりうるというのにも感心しました。
 このヴァイオリンが無いというのは、たしかに曲が落ち着き、まあ早い話が地味に聞こえる大きな要因ではあります。
 ただ、そもそも曲調自体が穏やかでのんびりしているのです。
 全部で楽章が五つあり、その中で遅いテンポ指定なのは第3楽章のアダージョと他はせいぜい第4楽章がメヌエット風ぐらいで、他の3つの楽章は速いテンポ指定なのにもかかわらず、十年一日変わらない田舎のように、のんびりリラックスした雰囲気が全体に行き渡っています。
 メロディーも、ハンガリー舞曲を連想させるかのように民謡調で、ブラームスというよりなんだかドヴォルジャークを聴いているかのような気がしてきます。
 こういうゆったりとした気分に浸るのはなかなか良いものですが、その中で、ちょっと刺激的なのが第2楽章のスケルツォのコーダ(?)と第5楽章のロンド(アレグロ)です。
 第2楽章のコーダは、ファゴットから始まる鋭いメロディーで、ちょっとした緊張感を出していますし、第5楽章は、これはいかにもロンドらしく、華やかで祝祭的な躍動感ある音楽になっています。
 こういう華やかさは第1番と共通していて、この第1番と第2番が縁もゆかりも無い曲ではなく、やはりセレナードという同じジャンルでのセットなんだというのが、改めて実感しました。

 さて演奏の方ですが、なによりも響きの厚さが印象に残りました。
 そんなに、聴く者を圧倒するような分厚い響きというわけではありませんが、ゆったりと歌われるメロディーを包み込むような、柔らかい響きです。
 ちょうど、仏像や聖人の像の背後にある光輪みたいな感じですね。
 メロディーの方も、あまり「このソロを聞け!」というような自己主張の強いものではなく、むしろ控え目に穏やかな響きの中にうまく溶け込んでいます。
 そういう歌い方ですから、メロディーが中心にあってその周りを響きが取り巻くというよりも、まず響きがあって、その庇護の下でメロディーが安心してゆったりと歌っているという雰囲気です。
 変わった事は何もしていませんが、この曲にはこういう雰囲気がとてもよく合っていると思いました。(2005/1/29)


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