指揮 | ウィルヘルム・フルトヴェングラー |
演奏 | 北西ドイツ放送交響楽団 |
録音 | 1951年10月27日 |
カップリング | ブラームス 交響曲第1番 |
発売 | TAHRA |
CD番号 | Furt 1001 |
フルトヴェングラーはブラームスを得意にしていましたので、この「ハイドンの主題による変奏曲」も多くの録音が残されていますが、これは珍しく新進の北西ドイツ放送交響楽団に客演したときのコンサートのライブです。 ちなみに、このコンサートのメインプログラムであったブラームスの交響曲第1番は、名演奏として名高いものです。 新進と言いましても、北西ドイツ放送交響楽団は創設者のハンス・シュミット=イッセルシュタットが鍛えに鍛え上げた団体で、レベル的にはヨーロッパでも指折りのものでした。 余談ですが、この北西ドイツ放送交響楽団はハンブルクが本拠地で、北西ドイツ放送局に所属していたのですが、後に北西ドイツ放送局自体が、ハンブルクの北ドイツ放送局とケルンの西部ドイツ放送局に分離したため、現在では北ドイツ放送交響楽団という名称になっています。 まあ、余談はともかく、わたしとしては北西ドイツ放送交響楽団は上手いというイメージがありましたので、始めのテーマの部分を聞いたときは、おやっと思いました。 管楽器などで特に出遅れたりする部分が目立ったのです。 「もしかして、実は下手だったのかのかなぁ」と思いましたが、変奏に入ってからはテクニック的に申し分なかったので、「客演だから、滅多に見ないフルトヴェングラーの棒に戸惑ったんだろう」と考えています。ほらっ、何と言っても分かりづらいと悪名高いフルトヴェングラーの棒ですから(笑) 演奏全体では、一番目立つのは、テンポの遅さです。 フルトヴェングラーは他の曲でも概してテンポが遅い場合が多いのですが、この曲は徹底しています。 特に、Vivace等の速い変奏でのテンポの遅さにはビックリします。 例えば、中盤ではもっとも盛り上がる(というか派手な)第6変奏(Vivace)では、以前、ベイヌムの演奏では、キッチリとした造型に圧倒されたのですが、フルトヴェングラーの演奏では、あまりにもゆっくりでその上重いため、巨大な何かがじわじわと迫ってくるかのような、異様な迫力を感じます。 全編この調子で進んでいくため、スピード感はあまり感じられません。 その代わり、どっしりとした質量が随所に感じられるところは、まさしく巨人がこの世に現れたかのように思えてきます。 ここまで長々と書いてきましたが、実はわたしが最も強調したいのはフィナーレの部分です。 皆さんもご存知のように、このフィナーレは第9変奏であるとともに、このフィナーレだけでも一つの変奏曲になっています。 いろいろ変奏を繰り返した末、最後に盛大にテーマが戻ってくる(446小節以降)のですが、この部分をフルトヴェングラーは見事に決めてくれているのです。 フィナーレでも、フルトヴェングラーはかなり遅めのテンポなのですが、テーマが出て来る部分では 一音一音に気合が入り、悠然としたテンポと相まって、堂々とした雰囲気が生まれてきます。 そして、このテーマは同じフレーズが二回繰り返されるのですが、フルトヴェングラーの凄いところは、二回目のテーマに入る部分では、あたかも見得を切るかのように大きなタメをつくり、さらにテンポを遅くすることで、これ以上は望めないと思わせるぐらい圧倒的な迫力と輝きを、聴き手に突きつけてくるのです。 これを聴いていると、「ああ、やっぱりフルトヴェングラーという指揮者は偉大な存在だったんだ」としみじみ感じます。(2001/1/12) |