H.ベルリオーズ 幻想交響曲

指揮イーゴル・マルケヴィッチ
演奏ラムルー管弦楽団
録音1961年1月
カップリングケルビーニ 「アナクレオン」序曲 他
発売Grammophon
CD番号447 406-2


このCDを聴いた感想です。


 この演奏を聴いて、まず感じたのが響きが軽いこと。なにより『高い』響きだと思いました。
 軽いというのは、適度に力が抜けた風通しの良い響きという意味ですが、高いというのは音程が上ずっているとかそういう合っていないという意味ではありません。
 文字通り音の響きが高音に偏っているのです。
 全体的な楽器同士のバランスとしては、決して高音楽器が強くて低音楽器が弱いわけではなく、低音楽器も十分に強く大きく演奏されています。だから低音が弱いとかそういう不満はありません。ただ響きだけが上の方にあるのです。
 普通の厚い響きの下半分をカットして上層部の澄んだ上澄みだけを掬い上げたみたいで、薄くサラサラとした軽い響きなのです。
 おそらくフランスのオーケストラであるラムルー管の特徴が強く出ているのでしょう。
 これは全体の響きだけではなく、ここの楽器に対しても同様で、典型的なのが、第5楽章の『怒りの日』が最初に登場する部分です。
 ここは鐘がピアノになって遠ざかったところへチューバ2本(+ファゴット2本)で衝撃的に演奏されるのですが、その音は今まで聴いたことがある演奏とはかなり異なっていました。
 多くの演奏では、いかにもバス・チューバという雰囲気で、地獄の底まで届きそうな重量感のある、下へ向かって響く音だったのですが、この演奏では、まさにテナー・チューバという雰囲気で、音は同じ音なのに(ただ演奏によっては第2チューバを1オクターブ下げて演奏しているものもあるらしい)、腹に響く重量感は全く無く、逆に天に拳を突き上げるような上へ抜けていく響きなのです。なんだかチューバというよりもほとんどトランペットでチューバの高さの音を吹いているというイメージでした。他の演奏と違って重さで圧倒はできませんが、響きが高いことによるキレの良さと硬さにより、音が出た瞬間の衝撃ははるかに強く感じました。初めて聴いた時には、まずチューバとは思えない高い響きにビックリして、さらにカーンという鋭いアタックの衝撃の強さに二重に驚いたというわけです。
 この幻想交響曲のチューバ(高い方)は、本来はオフィクレイド(まあだいたいバス・サックスの吹き口を金管のマウスピースにしたような楽器だと思ってください。正確にはちょっと違いますが)という楽器だったらしいので、案外、この演奏の響きもそう間違ってはいないのかもしれません。
 全体の響きでは、第2楽章のワルツなんかは、強くステップを踏み込んだダイナミックな踊り方からは遠く、ほとんど力を入れずに空中をクルクル回っているように軽く流れていきます。
 このラムルー管の特徴のままだと、軽く流して曲があっさりと終わってしまうところなのですが、そこをグイッと引っ張って演奏に活力を入れているのがマルケヴィッチです。
 ラムルー管の軽さは生かしたまま、ポイントに力を込めることで意外と大きな起伏を生み出しています。上へ抜けようとする響きに蓋をして溜めておいて、ここぞというところで開放して大きく広がるようにしています。下が無いので火山の噴火というほど力強いものではありませんが、花びらが舞い散ったように明るく華やに広がっていきます。
 メロディーなどの横の流れも、ちょっと立ち止まってみたり、逆にクライマックスに向かってテンポを速めていったりと動きがあり、エネルギーを感じる積極的な音楽になっています。
 このマルケヴィッチの解釈でちょっと不思議なのが、第4楽章の最後です。
 ここは二分音符がこれでもかこれでもかと連続するところで、楽譜上は最後の音もその前の音も同じ二分音符ですが、たいていの演奏では最後の音はフェルマータにして、前の音よりも長く伸ばします。ところが、マルケヴィッチは逆に最後の音を八分音符ぐらいに短く切ってしまうのです。スパッと切って余韻を残したかったのか、それとも何か他の意図があったのかはわかりませんが、どうしても伸ばすものだという固定観念があったわたしにとっては、なんだかひどく妙でした。まあ、意表をついていますし面白いのは面白いのですが。(2005/6/4)


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