G.マーラー 交響曲「大地の歌」

指揮カルロ・マリア・ジュリーニ
独唱アルト:ブリギッテ・ファスベンダー
テナー:フランシスコ・アライサ
演奏ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音1984年2月
発売ポリドール(Grammophon)
CD番号F35G 21015(413 459-2)


このCDを聴いた感想です。


 知った時には既に一週間近く経っていましたが、カルロ・マリア・ジュリーニが6月14日に亡くなったというニュースを目にしました。1998年に引退しており、実演を聞ける可能性は無いので半分過去の指揮者といっても良いかもしれません。とはいえ寂しいものです。
 ジュリーニはイタリア出身の指揮者ですが、イタリア出身といえば古くはトスカニーニやデ・サーバタ、今最も脂が乗り切っているところではアバドやムーティ、シャイーなど、過去から現在に至るまで少なからぬスター指揮者を輩出しています。
 ところがジュリーニが生まれた1914年の前後10年間ぐらいは、ジュリーニ以外はこれといった指揮者がいないのです。イタリアは管弦楽のコンサートよりもオペラの方が主流なのでもしかしたらそっちの方ではスター指揮者がいるのかもしれませんが、すみません、わたしはこの方面に詳しくないので……コンサートでも評価の高い指揮者に限るということでお願いします(汗)
 本来なら同世代にはもう一人1920年生まれのカンテルリがいて、おそらくジュリーニと双璧になったであろうと期待されていましたが、残念ながら1956年に事故で早世。前世紀(19世紀)の世代の先輩方は、トスカニーニが90歳近くまで頑張ってくれたものの1955年止まり。1892年生まれのデ・サーバタは1967年まで存命でしたが、病気のため1957年には引退してしまいました。
 デ・サーバタの引退以降、アバドやムーティが登場するまでの間、イタリア出身のコンサート指揮者は、ほとんどジュリーニ一人だけだったのです。
 まあ、同じ年代がいないということは、考えようによっては、デ・サーバタ亡き後、イタリア楽壇のドンとなってもおかしくない立場だったわけですが、どうやら本人にはそういうつもりは全く無かったみたいです。さらに、夫婦揃ってあまり丈夫でないこともあってか、一つのオーケストラの常任を長く務めたりすることすらほとんどありませんでした。1970年代(正確には1969年から)からシカゴ響の主席客演指揮者を務めるなど、もともと客演の評価が高いジュリーニですが、1984年にロス・フィルの音楽監督を辞任して以降は、ほぼ客演一本だったのではないでしょうか。
 痩せていていかにも健康に不安がありそうに見えたりと、個人的にはなんだかいつ亡くなっても不思議ではなかったのですが、うまく養生しながら指揮を続けていたのか、ついに90歳を超え、享年91歳。キリスト教徒(たぶんそうでしょう)の方に対してこういう書き方をしていいのかわかりませんが、大往生だと思います。
 長い間お疲れ様でした。

 というわけで、今回はジュリーニの演奏を取り上げることにしました。(かなり長い前振りでした)
 わたしがたまたま持っていたCDが、この「大地の歌」だったのですが、実はジュリーニとってはマーラーというのは、あまりレパートリーの中心ではなかったようです。録音自体は何点かありますが、演奏会で取り上げることは少なかったとのことです。
 ただ、その数少ない機会の中で多く演奏されたのが、この「大地の歌」なのだそうです。
 おそらくマーラーの中では最も気に入っていた曲の一つだったのでしょう。
 さて演奏内容ですが、交響曲というよりも歌曲としての性格が強く表れているように思いました。
 交響曲だからといって、オーケストラのがっちりとした構成と厚い響きが先に有りきで独唱がオーケストラの一部となっているのではなく、まず独唱があり、それをオーケストラが控えめに支えています。
 オーケストラはベルリン・フィルですから合奏能力は高くパワーも十分にあるのですが、精緻なアンサンブルだけ表に出し、力強さはずいぶん抑えています。
 響きもあまり奥行きを持たせず、むしろ浅く、ほとんど上澄みを掬ったみたいです。
 ただ、この浅さが、秋をイメージさせるような寂しげな雰囲気を上手く出しています。白くモノクロに近い淡い色で、歌詞として取り上げられている漢詩(作者が明白なのに意外とどれが基なのか不詳のものが多いようですが)の無常観をよく表しているのではないかと思います。
 曲が明るい部分でも派手な雰囲気はほとんど無く、いっそ無邪気と思えるぐらいに純粋な明るさを感じさせます。
 その中で、一つ不満を感じる点が、ファスベンダーのアルト独唱です。
 第4楽章の「美について」の歌い方は、少し表情を付け過ぎではないかと感じました。
 オペラとまでは行かないまでも、かなり感情を込めた強い表現で、ジュリーニの穏やかでさりげない音楽と違いすぎて、どうも少しわざとらしく聞こえてしまうのです。
 ただし、これが第6楽章の「告別」では、歌い方はほとんど変えてないようなのに、こちらは伴奏と独唱がうまく溶け合っています。やはり「寂しさ」というのも感情ですから、それがより強く出ている「告別」の方が、無心に近い「美について」よりも距離が近かったということなんでしょうか。なかなか興味深いところです。(2005/6/25)


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