G.F.ヘンデル 歌劇「クセルクセス」より「ラルゴ」(オンブラ・マイ・フ)

指揮ジョセフ・パスターナク
演奏管弦楽団
独唱テナー:エンリコ・カルーソー
録音1920年1月29日
カップリング「なつかしき木蔭よ(オンブラ マイ フ コレクシオン)」の一部
発売東芝EMI(GINETTE NEVEU 協会 JAPON)
CD番号SGNJ-1001


このCDを聴いた感想です。


 録音初期のテナーといえば、多くの人が真っ先にこの人の名を挙げるだろうと言われている、伝説的な名歌手エンリコ・カルーソーの最晩年の録音です。
 亡くなったのが1921年ですから、最晩年といってもまだ電気録音ではなく機械録音の時代ですが、同年代のオーケストラの場合は聴くのに多大な忍耐と限りない想像力を必要とするのに対して、歌の場合は、広い範囲を録音する必要が無いため、機械録音でもそれほど聴きづらいものではありません。声の雰囲気や歌いまわしは十分に聞き取ることができます。その一方で、伴奏しているオーケストラは、思いっきり機械録音のレンジの狭さに影響を受ける上に、メインはあくまでも歌で、マイクもそちらを向いているため、ほとんど「ああ、伴奏はオーケストラがやっているみたいだな」程度しかわかりませんが。
 さて、肝心のカルーソーの歌いっぷりですが、その声の太さに圧倒されました。
 重量のある分厚い音で、声域はテナーなのにまるでバスが歌っているみたいです。
 さらに、録音当時から有名だった豊かな声量も十分に活かされています。
 もちろん、録音が録音ですからレベルの調整もされているでしょうし、どこまで忠実に再現されているかは怪しいものでしょう。それでも後半のクライマックスで出てくるフェルマータで思いっきり引っ張る高音の伸ばしなどで、ピアノからフォルテに向かって予想をさらに一段階超えた強さまで押し切っていく迫力は録音の古さをものともせず迫ってきます。
 表情付けはもちろんたっぷりと、そのためにはテンポの伸び縮みは当たり前です。フレーズの最後ではほとんど止まりそうなぐらい遅くしています。
 面白いのは、ビブラートをあまり直接的に表情に結び付けていない点です。
 もちろんビブラートをかけてはいますが、表現のためというよりも声の太さを確保するためで、表情付けはほとんど強弱とテンポの変化だけで付けられています。同年代の他の歌手がビブラートのかける幅の変化も表情付けに使っているのとは少し異なっています。ただ、カルーソーの場合はビブラートの変化をつけなくても十分に劇的ですし、そこを変えないことでむしろ安定感が出ています。
 一方伴奏のオーケストラは、ほとんどおまけのようなもので、アリアのメロディーが登場する部分の伴奏で、ハープの分散和音が入っている辺り、カンテルリの演奏と同じだな、ぐらいの印象しか残っていません。なにせ演奏しているオーケストラは無名の「管弦楽団」ですし、指揮者もどんな指揮者だか全く知りません。
 ただ、このパスターナク(とたぶん読むと思います)という指揮者、ネットなどで調べてみると、意外なところで発見します。
 ハイフェッツの若い頃の録音の伴奏をやっていたり、かと思えばスーザ・バンドでプライアーなどと並んで指揮をしていたりと、なにやらいろいろ指揮をしています。どれもこれも1920年代初期に限られているところが扱いを伺わせますが。
 しかし、最も驚いたのが、宮沢賢治の詩の中に名前があるのを発見したときです。録音が少なかった時代というのもあるのでしょうが、この人、ムックの演奏を愛聴していたりと意外な名前がひょっこりと登場します。
 こうやって指揮者として名前を見かけることはあるのに、生没年や履歴などはさっぱりわからないのがこれまた謎です。
 ところで、カルーソーの生涯は1951年に「歌劇王カルーソ」という映画になっています。実は、この映画の製作もパスターナクという人物なのです。
 この人は、ジョー・パスターナクという通称で知られていますが、本名はジョセフで、なんとこの演奏の指揮者と全くの同姓同名です。
 初めてジョー・パスターナクの名前を見たときには、一瞬同一人物かと思いますが、生年と経歴を見ると、どうやら全くの別人物のようです。苗字の綴りも正確には指揮者の方はPasternackで映画の方はPasternakと、「c」が入る入らないの違いがあるのですが、資料によっては入るはずが入ってなかったりあるいはその逆があったりとけっこうバラバラで、もしかしたら本当に綴りも全く一緒なのかもしれません。いずれにしても奇妙な縁にちょっと驚きました。(2007/5/19)


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