G.F.ヘンデル オラトリオ「メサイア」

モーツァルト編曲版

指揮ヘルマン・マックス
出演ソプラノI:モニカ・フリンマー
ソプラノII:メッチルド・ゲオルク
テナー :クリストフ・プルガルディエン
バス  :シュテファン・シュレッケンベルガー
演奏ダス・クライネ・コンツェルト
ライニッシュ・カントライ
録音1991年2月27日〜3月25日
発売EMI
CD番号CDS 7 54353 2


このCDを聴いた感想です。


 今年(2006年)はモーツァルト生誕250周年の記念ということで、最後はモーツァルト関係の曲としてこの曲を取り上げてみました。
 メサイアは作曲者本人の楽譜さえこれという決定稿が無い曲ですが、さらに本人の楽譜から離れて編曲されたバージョンも何種類かあります。その中には、金管バンド用の編曲など特殊なものから、オーケストラで演奏するものではビーチャムが録音しているグーセンス版やプラウト版などありますが、最もよく知られているのがモーツァルトが編曲した版でしょう。
 このモーツァルト編曲版というのは、大まかに言えば、ヘンデルが作曲した当時のまだまだ管楽器が少なかった頃の編成から、モーツァルト当時のもう少し使われる管楽器が増えた編成へと拡大したものです。もともとの編成よりより大掛かりですが、後のグーセンス版ほどシンバルやトライアングルなどの打楽器が付け加えられているわけでもない、オリジナルとグーセンス版の中間ぐらい規模です。
 ついでに、オリジナルや他の編曲版との見分け方も書いておきましょう。もっとも、CDが手元にあれば、モーツァルト版ならほぼ必ずジャケットにその旨が書いてあるはずなので迷うことはまず無いはずです。となるとほとんど意味が無いも同然ですが、一応、街で耳にしたなど演奏しかない場合でも以下の方法で見分けることができます。
 細かい違いはいくらでもありますが、最もわかりやすいのが、オーボエとファゴットとトランペット以外の管楽器、特にクラリネットとホルンが登場するかと、歌詞がドイツ語であるかの2点です。
 他の編曲版で管楽器が増えている演奏はありますが、それらは全て英語で歌われています。また、逆にモーツァルト版以外にもドイツ語で歌っている演奏もありますが、わたしの知っている限りそれらはオリジナルかそれに準ずる版で、大幅に管楽器が増やされてはいません。
 つまり、クラリネットやホルンなどの管楽器が加わっていること、さらに歌詞がドイツ語であることの二つの条件を両方とも満たせば、その演奏はモーツァルト版というわけです。数学的に言うと、二つの条件を満たすことはモーツァルト版である「十分条件」というところでしょうか。
 ちなみに「十分条件」であって「必要十分条件」でないというのは、二つの条件を両方満たしたそれ以外の版は無くても、二つの条件を両方ともは満たしていないモーツァルト版はあるからです。
 わたしもモーツァルト版の総譜を持っていないので正確なことはわかりませんが、どうやらモーツァルト版は歌詞がドイツ語の方が正式なようです。しかし、ヘンデルのオリジナルに倣ってか英語で歌っているものの何種類か存在するのです。
 そういう英語版などの演奏の見分け方は、さすがに個々の曲の違いに頼るしかありません。
 管楽器が増えているので、オリジナルと違うのはすぐにわかるのですが、プラウト版など管楽器が増えている編曲版と見分けるのはなかなか困難です。
 個々の曲では、あきらかに違いがわかるのが、第43曲の『The trumpet shall sound』(喇叭(ラッパ)が鳴りて)と、第46曲の『If God be for us』(もし神が我々の味方ならば)、それと第47曲(最後の曲)の『Worthy is the Lamb that was slain』(捧げられた子羊は)の3曲です。まあ揃いも揃って全曲の終盤ですが。
 第43曲と第46曲は、オリジナルから大きく離れてほとんど別の曲といってよいほどですし、第47曲は、テンポが速くなった『Blessing and honour, glory and power〜』の部分の最も盛り上がった『Blessing, honour,』(第56小節)で、2拍目と4拍目に合いの手が入るのでわかります。
 特に、この第47曲の合いの手があれば間違いありません。モーツァルト版で最も見分けにくいのは、わたしが見る限りマッケラス/ロイヤル・フィルの演奏(1988年)で、歌詞は英語ですし、第43曲の『The trumpet shall sound』はモーツァルト版ではなくオリジナルのもの、あまつさえ第46曲に至ってはカットされています。しかし最後の曲の合いの手によってたしかにモーツァルト版での演奏であると納得したものです。

 オリジナル版を拡大された編成によって、より華やかに変えているモーツァルト版ですが、実は、わたしはこのモーツァルト版があまり好きではありません。
 オリジナルが改造されて華やかになってしまったから嫌というわけではありません。大幅な改造ならグーセンス版の方が遥かに手を入れていますが、この版は嫌いではなく、むしろ大好きな方です。モーツァルト版は、オリジナルほど質素ではなくグーセンス版ほど思い切っていないという中途半端なところも、たしかに好きではない理由の一つですが、もっと大きいのはモーツァルト版が、どうも厚着をしたみたいにモワッ膨れ、キレとメリハリに欠けているところです。管楽器がいろいろと加わっているのに厚いばっかりで、むしろ単調になっています。
 曲の途中に出てくる、休符や低音楽器の長い伸ばしの音というのは、全体が大きく出ている部分と対比させる意図もあってわざと引っ込めているはずなのに、その部分を管楽器で埋めているのです。そのため起伏がならされて平坦なまま盛り上がり無く続いているように聞こえます。
 例えば、第8曲の『O thou that tellest good tidings to Zion』(良き訪れをシオンに伝える者よ)では、ヴァイオリンの伴奏が一定のほぼ似たような速い動きを繰返しています。その動きは、たまに低く長く伸ばした音のトリルになり、そこで沈み込むことで、いわばジャンプする前に一瞬身を屈めるようにエネルギーを溜め込んでいたのが、モーツァルト版では弦楽器が低い音に入っても代わりに管楽器がそれまでのヴァイオリンと同じ動きで入ってくるため、エネルギーの溜めているという感じがせず、起伏も無くダラダラと続いているように聞こえます。
 さらに、それだけはやって欲しくなかったと思ったのが、上記にも書いた第47曲の合いの手です。
 この部分は、合唱を始めとして全楽器が1拍目と3拍目で8分音符二つの強い動きがあり、2拍目と4拍目はヴァイオリンの細かい動きが出てくるだけでほとんど何も無しに等しく、そのフォルテとピアノの落差が劇的な効果を生んでいます。ところがモーツァルト版では何を考えたのか、2拍目と4拍目に1拍目と3拍目に応えるかのように管楽器による合いの手が入っています。そうなると強弱に多少は差があるとしてもほぼ単にフォルテが4拍続くだけの音楽になってしまい、劇的でも何でもありません。いやもう、この部分は何度聞いても眩暈がしてきます。
 これ以外では、やはり第43曲の『The trumpet shall sound』(喇叭(ラッパ)が鳴りて)でしょう。出だしは、オリジナルとほぼ同じようにトランペットが出てきますが、すぐにいなくなり、トランペットが吹くはずのメロディーは、代わりにホルンで演奏されます。その上、大幅に省略されて短くなっています。もともとは第20曲のアルトによるアリア『He was despised』(彼は侮られて人に捨てられ)と並んで、メサイアの中でも最も長く存在感のあるアリアのはずが、見る影もありません。一応、モーツァルトが編曲した当時、オリジナルのトランペットパートを吹ける人材がいなかったためにこうなったらしいのですが、歌詞には「ラッパが鳴りて」とあるのに、肝心のラッパが鳴ってないのは、看板に偽りありではないかと、思わずツッコミたくなりました。
 いろいろ文句ばかり書いてきましたが、中には「これは良い!」という部分もあります。
 第6曲のバスのアリア(オリジナルではアルト)『But who may abide the day of His coming』(その来る日には誰が耐え得よう)で、基本はLarghettoのゆっくりとしたテンポですが、途中で速いPrestissimoになる部分が二箇所あります。その二回目の15小節目(全体では第129小節)で雰囲気がちょっと明るく変わりますが、その直前の14小節目の第3・4拍目で、木管楽器が16分音符で音階状に上がっていく動きがあり、これが非常に良いのです。音楽が上に向かって大きく広がり、気持ちがどんどん前に向いていくような高揚した気分を感じます。オリジナルの音楽よりも劇的で、これだけは、オリジナルの演奏聞いてこの動きが無いと、かえって寂しく思えてくるほどです。

 いろいろ不満があったために、モーツァルト版を採用した演奏は、今まで敬遠気味になっていました。その中で、これは良いかもと見直したのが、今回取り上げるヘルマン・マックスの演奏です。
 小編成ということもあってか、厚く膨れ気味のモーツァルト版の演奏の中では最もスッキリと締まっています。
 テンポも速めで、音も短めに切り、キレ良く進んでいきます。
 管楽器も、いたずらに弦楽器の音に厚みをつけるのではなく、引っ込むときに引っ込み、ここぞというポイントだけ大きく存在感を出しています。
 要するに、オリジナル版、しかも古楽器系の小さく引き締まった演奏に近いもので、モーツァルト版らしい厚みのある響きを求める人にとっては少し物足りないかもしれません。
 とはいえ、ちゃんとドイツ語ですし、カットも無く、おそらく他の例えばオリジナル版などに変えてしまったところも無いと思います。
 特殊なのは、例えば第7曲の『For unto us a Child is born』(我々に御子が生まれた)などが、本来は全て合唱で歌われるところを、ピアノ部分は四人のソリストが歌い、最も盛り上がるフォルテの部分だけが合唱で歌われるというぐらいでしょう。もっともこの変更はモーツァルト版を採用している他の演奏でも同様の変更をしているものは何種類かありますし、ずいぶんスッキリしているとはいえ、十分にスタンダードな演奏です。(2006/12/30)


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