指揮 | ゲオルグ・ショルティ |
演奏 | シカゴ交響楽団 シカゴ交響合唱団 |
独奏 | トランペット:アドルフ・ハーセス ソプラノ:キリ・テ・カナワ アルト:アンヌ・ゲヴァング テナー:キース・ルイス バス:グウィン・ハウエル |
録音 | 1984年10月 |
発売 | DECCA |
CD番号 | 414 396-2 |
古楽器系の演奏の特大ゴージャス版といったところでしょうか。 基本は音を短く切ってテンポよく進めるスッキリ系の解釈なのですが、そこは現代楽器のフル編成のオーケストラ(正確には40人程度の中編成ですが)。楽器そのものの音が大きいのに加え弾く人数が多い分、一つ一つの音が小編成のオーケストラよりも遥かに分厚いのです。 とはいえ、他の現代楽器のフル編成による演奏と違って、分厚いからといってモワモワとぼやけたり動きが重くなったりせず、音の速さや俊敏な動きは小編成並みの素早さで、さらに厚い響きと力強さを備えています。 まるで象がチーター並みの素早さで走っているようなもので、なんだか有り得ないものを見ているみたいです。 それもやはりショルティの統率力とシカゴ響の驚異的な上手さなんでしょうね。 たしかに、響きの透明感という点では、編成が厚い分、小編成の古楽器系の演奏ほどではありません。しかし、同程度のフル編成のオーケストラの演奏の中では最上位の一つですし、なによりパワーという点では、小編成が全く太刀打ちできないほどの圧倒的な力を誇っています。 もっとも豪快なのが第39曲の『ハレルヤ・コーラス』で、パワーをこれでもかと発揮しています。 他の小編成の演奏では、ガーディナーのように、昔からの因習を断ち切るためにむしろ柔らかく演奏したものも多く、フル編成の演奏でもハレルヤ・コーラスだけはなぜか腰砕けになっている演奏が意外と多い中で、ショルティは、「これぞ力のハレルヤ・コーラス」というものを聴かせてくれます。 ほとんど、グーセンスの編曲の手を借りずにビーチャム(1959年)並みの迫力を実現したような演奏で、最初から最後まで力強くギラギラと輝いています。 こういう演奏はオリジナルの再現という点では正しくないのかもしれませんが、いかにも人間の次元を超えた神の栄光といった感じで思わずハハーとひれ伏したくなって来るような雰囲気があり、わたしは好きです。(全く逆の柔らかい演奏も好きですけど(笑)) さて、メサイアには第44曲『The trumpet shall sound』というトランペットがソロで大活躍する曲がありますが、シカゴ響の演奏でそういうトランペットが活躍する曲を語らずに済ませるわけにはいきません。 ソロを吹いているのはトップ奏者のアドルフ・ハーセス。この録音の36年前からトップ奏者を勤め、この録音の後も17年間トップ奏者を勤め続け(つまり計53年間)2001年に80歳で引退した驚異のプレイヤーです。 ハーセスの凄いところは、引退間際でもヨレヨレどころか単純なパワー勝負ですら若い者を上回っているところです。それも他ならぬ金管セクションで有名なシカゴ響なのですから、もう常識では信じられないところです。 この曲のトランペットソロというと、以前書いたリヒター(ミュンヘン・バッハ管)のモーリス・アンドレにも驚かされましたが、ハーセスのソロは、アンドレの自然で柔らかなものとは異なり、スッキリと良く抜けていながらも輝いた音です。 さらに同じ傾向の他の奏者と最も違う点は、音の伸びです。 出て来る音がグンと浮かび上がり、まっすぐこちらに迫って来ます。アンドレとは対照的ですが、こちらも思わず唸ってしまうような音でした。 この演奏で一つ気になったのが、独唱の歌手の歌い方です。 メロディーに合わせてテンポを微妙に動かすという曲線的な歌い方をしています。 ところが、オーケストラの方はテンポ良くズンズンとまっすぐ進んでいくため、どうも歌手とオーケストラが今一つかみ合っていないように感じるのです。 よく歌っていますし、おそらく歌手だけ取り出したら感情の込められた聴きでのある歌だと思うのですが、オーケストラと一緒だとどうも違和感があり、個人的には、感情を抑えめにしてどちらかというとキレのある歌い方の方が合ったのではないかと思いました。 ちょうど合唱がそういうキレ重視の歌い方をしてオーケストラと良く合っていたので余計そう感じたのかもしれません。(2004/12/25) |