G.F.ヘンデル オラトリオ「メサイア」

1749年(ロンドン、コヴェントガーデン)版

指揮ヴァレンティン・ラドゥ(Valentine Radu)
出演ソプラノ:ジュリアンヌ・ベアード(Julianne Baird)
アルト :ジェニファー・レーン(Jennifer Lane)
テナー :デイヴィッド・プライス(David Price)
バリトン:ケビン・ディーズ(Kevin Deas)
演奏アマデウス・アンサンブル
アマデウス・アンサンブル合唱団
録音1994年7月6〜8日
発売VOX
CD番号VOX2 7502


このCDを聴いた感想です。


 いろいろ『予想』を裏切られる演奏です。
『期待』ではありません。あくまでも『予想』という点をお間違えのないように。
 どういうことかと言いますと、わたしの定義だと『期待』というのは、良かったとか悪かったとかいう評価や感情についてで、『予想』というのは、もっと物理法則とかそういったあまり感情の絡まないものだと考えています。
 例えば、明日の天気について、明日どこかに出かける用事があるから「天気になったら良いなあ」と思うのが『期待』で、一方、晴れて欲しい降って欲しい関係なく天気図を見て単に「おそらく明日は晴れるだろう」と思うのが『予想』というわけです。
 話を演奏に戻しますが、曲を聴いていると、特によく知った曲の場合、この曲はこういうテンポだろうとか、楽譜がこうなのだからメロディーもそれに沿ったものに違いない、と先を大体予想することができます。
 しかしこの演奏は、その予想を、しかも思わぬところで外されます。
 中でも一番驚くのがテンポです。
 他の演奏では、大抵の曲ではテンポはほぼ一定ですし、多少なりともテンポを動かす部分があったとしても、他にも同じようなところでテンポを動かしている演奏はいくつかあり、聴いていても「ああ、この演奏はここでテンポを動かす演奏なんだな」と思うだけで、それほど驚くことはありません。
 ところが、この演奏ではその常識が通用しません。
 といっても、だからといって常にテンポをグチャグチャに動かしているのでもありません。それだったら、それはそれで「そういう演奏なんだ」と納得するため、最初の一瞬はインパクトあるかもしれませんが、じきに慣れてしまい、あまり驚きはしません。
 この演奏は、テンポをあまり動かさず、むしろ、ほぼ最後まで一定を保っています。
 しかし、最後の一つ前の小節で急に3拍目と4拍目の間を開けるのです。
「1234、1234、123    4、1」という感じで、3拍目でいきなり音楽が止まって無音状態になり、思い出したように4拍目に入りますが、さっきまで空白が無かったのように、その前までと同じテンポで最後の小節の伸ばしの音が出てくるため、聴いている方は一瞬耳を疑い、「えっ!? 今、なにが起こった!?」と軽いパニックに陥ります。
 しかも、これを毎回やるのではなく、たまにぐらいの頻度なので、ますます虚を突かれます。
 さらに、第15曲の「Glory to God」のように、超快速で出ておきながら、「and peace on earth」の部分では、まるで別の音楽のように低速になり、しかも「and peace」と「on earth」の間で一旦停止して無音が入るというように、その二つですら、もう完全に別の音楽として扱われています。
 テンポ以外では、音の強弱にも驚かされます。
 フォルテで始まるのが普通の曲をピアノで始めたりというのは、まあ少ないながらそれなりに他の演奏にもありますが、最後の伸ばしの音で多くの演奏ならフォルテで伸ばすところを、ピアノで伸ばすならまだしも、初めの2拍をフォルテで、2拍目から3拍目に移る時に急激にディミヌエンドして3拍目と4拍目がピアニッシモという演奏は、およそ他では聴いたことがありません。
 音の変更では、アリア等のソロは、音を大きく変えて、装飾も山のようにつけています。
 他の演奏と較べても、程度としてはかなり激しい方ですが、ソロの音を変えたりとか装飾をつけること自体は他の演奏でもやっていることですから、これはそれほど変わっているほうではないかもしれません。(といっても、程度から考えると十分変わっているのですが)
 しかし、最後のアーメンコーラスの終わりから一つ前の小節(もう本当に最後の最後の方ですね)でのトランペットには驚きました。
 ここでのトランペットは、楽譜上は第1奏者は単に一つの音を伸ばしているだけですし、第2奏者も「ターンタ」というリズムはあるものの、音自体は同じ音を吹いています。
 この演奏も、聞く前は、リズムぐらいは多少アレンジがあってもその程度だろうと思っていたのに、いきなり8分音符で「ソファソラソファミレ(in D)」とメロディーらしきものを誇らしげに吹いているのが聞こえて来た時にはひっくり返りそうになりました。
 今まで、モーツァルト版や派手で有名なグーセンス版などいろいろな演奏を聴いてきましたが、さすがにそんな強烈な終わり方なのは初めてです。
 こうなって欲しいなとか、こうやってくれるかな、ではなく、当たり前のことが白昼夢のように平然と崩され、しかも次の瞬間には白昼夢が無かったかのように日常に戻る、それが、この『予想』を裏切る演奏なのです。

 さて、予想を裏切る部分はこれぐらいにして、その他で印象に残ったのは、バリトンのディーズ(ディース?)です。
 パートとしては低音のバスですが、低音よりもむしろ高音の方に圧倒されました。
 録音バランス的に大きく入っているためもあるのですが、声に張りがあり、力強く朗々としています。
 まるですぐ側で歌っているかのように、ピアノは細かい表情までわかり、一方、フォルテは非常に太い声で迫力があります。
 オーケストラや合唱などについては、演奏しているアマデウス・アンサンブルは、オリジナル楽器による団体で、CDの解説に演奏者の名簿が載っているのですが、弦楽器は1stヴァイオリンでやっと1プルト半(3人)、2ndヴァイオリン、ビオラ、チェロは1プルト(2人)、ヴィオローネ(コントラバス)に至ってはたった半プルト(1人)というこじんまりとした団体で、合唱にしても、各パート4〜7人程度しかいません。
 しかし、音は結構出ていて、響きも貧弱ではありません。
 フォルテはしっかりと力強いですし、フォルテとピアノのダイナミクスの差も大きくつけられています。
 これに加えて、トランペットの音がまた力強さに拍車を掛けています。
 音色からして、華やかで輝かしい音で、本当にオリジナル楽器系か? と疑いたくなってくるほどです。
 弦楽器に遠慮して控えめにするということは全く無く、いかにも主役という風に、弦楽器の響きを突き抜けて堂々と前に躍り出ています。
 あまりにも目立っているしギラギラした音色なので、好みがかなり分かれそうですが、わたしはこれぐらい派手なトランペットって好きですね。

 ただ、この演奏には、一点、非常に大きな欠点があります。
 それは録音の悪さです。
 多くの部分では悪いというほどではないのですが、部分的にひどく悪くなります。
 音が一瞬、左右の片方に寄ってそちらからしか聞こえなくなったり、フォルテで音が割れたり、ソリストの音がまるでステージ上を歩き回っているみたいに左右に動いたりと、かなり致命的な問題です。
 あまりにも録音が悪いので、ライブ録音かとも思いましたが、どうやら普通にスタジオ録音のようですし、もしかしたら、わたしの持っているCDの状態による原因もあるのかもしれません。
 それにしても、演奏が非常に個性的で面白いだけに、この録音の悪さは残念でなりません。(2004/5/1)


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