指揮 | デイヴィッド・ウィルコックス |
出演 | アルト:ジェイムズ・バウマン(James Bowman) テナー:ロバート・ティアー(Robert Tear) バス :ベンジャミン・ラクソン(Benjamin Luxon) |
演奏 | アカデミー室内管弦楽団 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団 |
録音 | 1971年7月27〜29日、1972年7月8・9日 |
発売 | EMI |
CD番号 | CMS 7 63784 2 |
このメサイアには、他のメサイアの演奏には無い特徴があります。 ソリストの欄を見て気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、アルト・テノール・バスのソリストは書いてありますが、ソプラノのソリストの名前がありません。 もちろん、メサイアにソプラノのソリストが登場しないわけではなく、量的にはそれほど多くはありませんが、ちゃんとアリアなどもありますし、その曲をカットしているわけでもありません。 では、ソプラノのソロをどうしているかといいますと、なんと、合唱団のソプラノパートが歌っているのです。つまり大勢による斉唱(笑)。 しかも、この合唱団のソプラノパートは女声ではなく、ボーイソプラノです。 ボーイソプラノ自体に子供っぽさと共に素直で清らかな雰囲気があり、しかも、一人で歌っているソロではなく、多人数での斉唱であるため、表情の変化に小回りがきかない分、逆に人間臭さが薄れ、宙に浮いているような、まさに天使のような印象を受けます。 これは、この演奏の大きなセールスポイントで、この点を最大限に生かすべく、本来はアルトのソロであるはずの第17曲の「Rejoice greatly」や終曲の「Worty is the Lamb」の一つ手前の「If God be for us」をソプラノに変更して出番を増やしています。 ただ、一箇所、Pifa(田園交響楽)の直後、第15曲目の「There were shepherds」のソプラノの叙唱(レチタティーヴォ)だけは、多人数ではなく、本当に一人のソロで歌っています。 おそらく、叙唱という性格上ここだけはソロにしたのでしょう。これはたしかに、細かい変化をつけやすいソロが合っていたと思います。 ちなみに、この部分をボーイソプラノのソロで歌わせるのは、ガーディナーの演奏でもやっていますね。 指揮をしているウィルコックスは、キングス・カレッジ合唱団の指揮者で、わたしは恥ずかしながらよく知らなかったのですが、オーケストラよりも合唱の指揮者・指導者として著名な人のようです。 たしかに、合唱はもちろんの事、アルト以下のソリストの扱いも、よく注意が行き届いています。 メロディーの歌わせ方など、ソリストによって大きく違ったりせず、声の違いによる個性は生かしながらも、ちゃんと統一感があります。 さらに、合唱の方は、大人数による合唱のような迫力こそ無いものの、響きは明るく、木のような暖かさが感じられます。 一方、オーケストラの方は、硬くかしこまった印象を受けました。 よく、きちっとした演奏を『楷書のような演奏』と表現する事がありますが、この演奏は、さらにしゃちほこばった、まるで『ゴシック書体のような演奏』です。 音を一つ一つ押しつけているみたいに、鋭くはないのですが、硬く無骨です。 また響きは若干重く、テンポも遅めですが、それでもテンポがどんどん伸びていって引きずるような事はなく、流れがちゃんと保たれているため、ゴツゴツしているのに、なかなか聴きやすい演奏です。 もう一つ特徴として、この演奏……というか録音は、残響が割と豊かに聞こえます。 豊かといっても、風呂場のようなワンワンと間近で聞こえるような残響ではなく、教会で録音したかのように、遠くの方で響いているような残響です。 残響を嫌われる方には、あまり良い条件ではないのでしょうが、わたしのような残響好きの者にとっては、これも魅力の一つです。(2003/9/13) |