F.シューベルト 交響曲第4番 ハ短調 <悲劇的>

指揮ヨス・ファン・インマゼール
演奏アニマ・エテルナ
録音1996年12月1日〜3日、1997年1月29・30日
カップリングシューベルト 交響曲第1番 他
「交響曲全集」の一部
発売SONY
CD番号SMM5023132


このCDを聴いた感想です。


 長い間、ひたすら「退屈な曲」という印象しかありませんでした。
 なにしろ、楽章を通して、似たようなフレーズが同じような調子で延々と繰り返されるのです。ほとんどどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のようなもので、中間部を丸ごとカットして初めの方と終わりの方をつないでもそれほど違和感を感じないのではないかと思えるほどです。
 もともとシューベルトの交響曲は多かれ少なかれ同じ傾向があるのですが、特にその傾向が強いのが、この曲と「ザ・グレート」です。「ザ・グレート」はこの「悲劇的」をさらに引き伸ばしたようなもので、「悲劇的」が演奏時間が30分強なのに対して「ザ・グレート」は1時間近く、繰返しを全て忠実に行なった演奏だと1時間以上にわたって延々と聞かされる羽目になります。
 しかし、不思議なことに、わたし自身は「ザ・グレート」を聞いていて退屈してきたことはほとんどありません。1時間近い「ザ・グレート」は平気なのに30分強の「悲劇的」はとても耐えられないのです。
 やはり、同じような繰返しにしても、十代の頃に作曲した「悲劇的」とは違い、展開もかなり洗練されてきて、メロディーもはるかに魅力的になっているからでしょう。
 その「退屈な」悲劇的ですが、最近は、聞いていてけっこう良いかもと思うようになってきました。
 きっかけは、メロディーの中の一部が妙に気に入ったことです。
 第1楽章の呈示部の終わりの繰返しの少し前の部分で、ベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章で1stヴァイオリンと2ndヴァイオリンが同じ動きを掛け合いで交互に演奏する部分と、よく似た動きをするところです。ベートーヴェンのようなヴァイオリン同士の掛け合いではなく、弦楽器がユニゾンで高い音で1フレーズ低い音で1フレーズとフレーズごとに高低が移動し、全体としては1音ずつ上がっていき、そこに管楽器が同じ音でファンファーレ風の合いの手を入れるという、音楽としては単純というかむしろ陳腐に近いちょっとクサ目の動きですがなぜか魅力的なのです。
 初めはそこを中心に聴いていましたが、そこを足がかりにちょっと良いと思える部分が回りに広がって行き、楽章全体もいつの間にか好きになっていました。さらに他の楽章にまで及んで、ついには曲全体をけっこう気に入ってしまったというわけです。
 それにしても、この曲は副題に「悲劇的」とついているわりには、あまり悲劇らしくありません。
 暗く悲劇性を感じさせるのは、それこそ第1楽章の序奏部ぐらいなもので、呈示部のアレグロに入って以降は明るい長調に変わってしまいます。第2楽章は天国のような穏やかな曲調ですし、第3楽章は、暗めとはいえメヌエットですし、第4楽章に至っては、最初を除けばむしろ能天気な雰囲気です。悲劇的という副題は、他の曲の副題にありがちな、本人の全く関知しない後世の人が勝手につけた副題ではなく、シューベルト本人がつけたらしいのですが、なんだかあまり合っていないように思えます。
 ついでに、編成として面白い点として、シューベルトの交響曲の中ではおそらく唯一ホルンが4本使われています。
 「ザ・グレート」や「未完成」ですらホルンは2本なので(その代わり、この2曲にはトロンボーンが入っていますが)、響きの厚みは随一のはずなのですが、これも、聞いている限りはあまり実感できません。ウェーバーの「魔弾の射手」みたいに4本によるアンサンブルが出てくるわけでもなく、総譜を見ていなかったら気づかなかったと思います。まあ、気づかなくても曲を楽しむ分にはほとんど問題ないでしょう。
 演奏している、インマゼール率いるアニマ・エテルナは、古楽器の団体らしくキビキビと引き締まっています。第2楽章も、やたらと情緒を強調することなく、テンポをしっかりととって、動きのある音楽を作っています。
 スピード感のある、生き生きとした演奏で、この演奏で聴き慣れたことも、わたしがこの曲に親しめるようになった大きな要因だと思います。(2007/11/3)


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