F.シューベルト どれほど熱愛していることか…アリア「ああ、私を見捨てないで」D.510
〜「ディドーネ」より〜

指揮ウィレム・メンゲルベルク
独唱ソプラノ:ベティ・ファン・デン・ボッシュ(Betty van den Bosch)
演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音1940年12月19日
発売及び
CD番号
AUDIOPHILE(APL 101.546)


このCDを聴いた感想です。


 あまり有名な曲ではないので、最初に曲の解説をば。
 まず「ディドーネ」とは何か、と言いますと、これはローマ建国の神話に登場するカルタゴの女王の名前です。
 後にローマを建国する主役のアエネーイスが、元々住んでいたトロイを有名な木馬の計によって滅ぼされた後、新たなるトロイ(これが後のローマ)の建設地を求めて彷徨う中で、当時既に栄えていたカルタゴに流れ着きます。
 そこで、そこの女王であるディドーネと恋に落ちるのですが、アエネーイスはその想いを断ち切って、新たなるトロイを建設するためにカルタゴを去ります。
 その時の、ディドーネが去り行くアエネーイスへの気持ちを歌ったのが、この歌というわけです。
 タイトルでは『〜「ディドーネ」より〜」』としましたが、別に「ディドーネ」という歌劇とかがあってその中のアリアの一つという事ではなく、もともとピエトロ・メタスタージオ(Pietro Metastasio,1698〜1782)というイタリア生まれの劇作家(ウィーンでは宮廷詩人としても名を馳せていたとのことです。ヘンデルやモーツァルトの歌劇の台本なども書いています)が書いた、ディドーネの気持ちを歌った詩があり、それに曲をつけたということです。
 この詩はなかなか有名なようで、シューベルト以外にも、モーツァルトもアリアにしていますし、タルティーニも詩から啓発されてそのタイトルのヴァイオリン独奏曲を書いています。
 もともとこの別れのシーン自体、昔からよく採り上げられていたようで、パーセルやD.スカルラッティの他、何人もの人が歌劇にもしています。

 さて演奏の方ですが、以前感想を書いた、同じ日の演奏であるアリエッタ「恋はいたるところに」D239/6と、ほぼ同じ傾向です。
 やはり目立つのは歌っているデン・ボッシュです。
 良く言えばスケールの大きい、悪く言えば小回りのきかない歌い方をしています。
 これは伴奏がオーケストラという事も関係しているのかもしれません。
 本来はピアノ伴奏なので、テンポなどを急に変えても付いて来やすく、歌手も好き勝手に動かす事が出来ます。それにピアノは音量も小さくしやすいため、表情の変化もいろいろ細かくつけられます。
 一方、デン・ボッシュの歌い方は変化のスパンが長く、例えば盛り上げる部分でも、ピアノ伴奏だとテンポを急に変えて一気に盛り上がれるのに対して、この演奏では、「いくぞ、いくぞ」としばらく前振りが続き、段階を踏んで盛り上がっていきます。
 その代わり、頂点での盛り上がりはピアノ伴奏以上で、オーケストラ伴奏の特性を生かして、力強く盛り上がります。
 デン・ボッシュの声質も、そういう盛り上がり方に合った太目の音で、曲の最後のクライマックスでここぞとばかりに長く引っ張る最高音でも音が痩せず、突き刺すような鋭さではなく、辺り一面に響き渡るような広く響く声です。
 細かい表情の変化はそれほどありませんが、じわじわと盛り上げていくところや、頂点での圧倒的な力強さは、他の演奏を向こうに回しても遜色ない大きな特長です。
 特に強弱での細かいニュアンスの変化がそれほど無いのは、そういう声の質から来るのかもしれません。まあ、録音があまり良くないため、細かい変化をつけられてもあまり聞こえなかったでしょうから、ちょうど良いとも言えますが。

 伴奏は、オーケストラの特徴を生かした、重く暖かいものです。
 ピアノの打鍵音と反対に柔らかく演奏し、途中で登場するクラリネットのソロを除けば、あくまでも脇役として響きを中心とした音の出し方で、あまり目立たないようにしています。
 テンポも、むしろ保つ方に心掛けていて、歌手のデン・ボッシュが歌の流れにしたがって次第にテンポを遅くする傾向があるのに対して、歌が一フレーズ終わって伴奏だけになった時には逆に遅くなったテンポを巻き上げて、すぐにもとのテンポに戻しているのがよくわかります。
 まあ、あくまでもメンゲルベルクを聴くというよりも、デン・ボッシュを聴く演奏なのでしょう。(2004/11/27)


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