F.J.ハイドン 交響曲第102番 変ロ長調

指揮セルゲイ・クーセヴィツキー
演奏ボストン交響楽団
録音1936年12月29日
カップリングハイドン 交響曲第94番<驚愕> 他
「Koussevitzky conducts Classical Symophonies」の一部
発売Pearl(Victor)
CD番号GEMM CDS 9185


このCDを聴いた感想です。


 四つの楽章それぞれに特徴が感じられる演奏です。

 第1楽章の特徴は「重さ」です。
 と言った端から否定するみたいですが、最も重いのが当然であるはずの、テンポ指定がラルゴの序奏部は、それほど重くありません。
 クーセヴィツキーがとっているテンポが少し速めという事もあって、透明感はあるのですが、重いという印象は受けません。
 重いのは、テンポがアレグロになった提示部からです。
 音の重心が低く、バランスとしては低音ばかり強調されているわけでもないのに、低音、特に低弦に圧倒的な存在感があり、どっしりとしています。
 その上、一つ一つの音が長めに演奏されているため、さらに重量感が増しています。
 しかし、それだけ重いにもかかわらず、聴いていても意外なほど、もたれたり、後ろに引きずられるようには感じません。
 その理由はテンポにあります。
 音は重いのですが、テンポの方は結構速めのため、停滞しているような印象を受けず、どんどん前へ進もうとする推進力があります。
 さらに、フレーズに合わせて変にテンポを動かしたりせず、一定のテンポをキープしている事も、テンポの良さを助けています。
 まあ、そのために、楽章の終盤で一箇所だけテンポを落とす部分は、それが崩れてしまうため、急にもたれてしまっているのですが。

 第2楽章には「流れ」が感じられます。
 緩徐楽章ですが、音にビブラートを思いっきりかけたりといった、音符の一つ一つに濃い表情付けはしていません。
 むしろ、それぞれの音自体は、アッサリと演奏されています。
 その代わり、テンポが速めで、メロディーを俯瞰して捉えやすくなっています。
 そうやって全体を眺めると、メロディーが常に一連の流れとして演奏されていることがよくわかります。
 音に過度に表情を持たせない事で、メロディーがすっきりと浮かび上がり、メロディー自体の表情が見えてきます。
 そして、それは、そのまた次のメロディーへとつながっているのです。

 第3楽章の特徴は「音のキレ」です。
 この楽章の音は気持ち良いくらい締まっています。
 アンサンブルがピッタリ揃っているため、音は決して短めでも無いのに、一体感があり、音がクッキリと立っています。
 スラーやスタッカートの違いや、ピアノとフォルテの差も、ハッキリと分けてあり、メリハリもついています。
 トリオでは、ピアノの強弱指定でも柔らかくは無いものの、メロディーに歌があり、水辺の草のような瑞々しさが感じられます。

 最後の第4楽章は「軽さ」です。
 速いテンポの楽章という点では、第1楽章と同じなのですが、演奏の傾向は正反対です。
 一つ一つの音が短くスパッと切れていて、常に飛び跳ねているかのような身軽さがあります。
 それに加えて、目の眩むようなスピード感に満ち溢れています。
 テンポ指定がプレストですから、テンポが快速なのは当たり前なのですが、音にあまりにキレと軽さがあるため、スピードに乗りすぎて、ちょっとまばたきしただけで遥か遠くまで行ってしまっていそうな目を離せない緊張感まであります。

 そして、この四つの楽章に共通するのが「音の張り」です。
 どの楽章の音にも、緊張感がみなぎっています。
 これに力強さが加わり、眩しいほどの輝きを生みだしています。
 この「音の張り」があるからこそ、四つの楽章の特徴がそれぞれ異なっていても、確かな統一感が感じられるのです。

 余談ですが、クーセヴィツキーのハイドンの交響曲は、この第102番の他に、その7年前に録音された第94番<驚愕>があります。
 戦前の音楽評論家として著名なあらえびす氏(野村胡堂)は、著書「名曲決定盤」(中央公論社)の中で、クーセヴィツキーのハイドンは、新しい第102番よりも古い第94番の方を採ると書いておられますが、わたしはあらえびす氏とは逆に、第94番よりもこの第102番の演奏の方に惹かれます。
 その最大の理由が、音の張りです。
 この時代の7年の違いは大きいので、録音状態の差でもありますが、第94番では聴き取る事ができなかった音の張りが、第102番の方にはハッキリと表れているからです。(2003/3/29)


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