F.J.ハイドン 交響曲第101番 ニ長調 <時計>

指揮アルトゥーロ・トスカニーニ
演奏ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
録音1929年3月29・30日
カップリングベートーヴェン 交響曲第7番 他
発売BMGジャパン(RCA)
CD番号BVCC-9704(74321-55609-2)


このCDを聴いた感想です。


 この演奏を初めて聞いた時には、単に明るく伸び伸びと歌っただけの、ごく普通の演奏にしか聞こえず、トスカニーニのニューヨーク・フィル響時代を代表する録音と称される割にはこんなものか、と内心ちょっとがっかりしていました。
 それでも、これだけ言われるからには何かあるのだろうと思い、折に触れて何度も聴き直すうちに、なんとなく魅力の一端がわかってきました。
 単に伸び伸びと歌っているだけではなく、意外と緊張感が高いのです。
 例えば第2楽章。
「時計」の副題の由来でもある、冒頭からずっと続く伴奏の規則的な動きですが、テンポとしてはそう速いわけでもなく、落ち着いたものです。しかも高いところで歌っているメロディーと違い、伴奏の方はまさに機械のように感情を交えず淡々と音を並べていきます。
 強弱もピアノと弱いこともあって、そこだけ聞いている限りは、無造作に演奏しているようにも聞こえ、緊張感があるのやら無いのやらよくわかりません。
 ところが、先に進んでいくとそれがわかってきました。
 第2楽章も最初から最後までピアノではなく、途中にはフォルテもあり、この部分は聞けばすぐに緊張感が高いことがわかります。鋭く力強い、いかにもトスカニーニらしい緊張感です。
 そこまで聞いて、ふと楽章の冒頭を振り返って考えると、フォルテとピアノの違いを除けば、音の扱い方はほとんど同じなのです。
 跳ねて動きすぎないよう置くような音の出だしや、音と音との間の取り方、機械に近い規則性を持ちながらも、心持ち落ち着かせ気味にして、窮屈さを和らげています。
 ピアノの部分は、表面には現れていないものの、内側には緊張感があり、フォルテの部分ではそれが表面に現れただけで、緊張感の高さは終始変わってないのだと思います。
 そのため、ピアノからフォルテになっても唐突に違う音楽なったという違和感がなく、ピアノの延長線がフォルテというように連続した流れがあり、最初から最後まで一貫性が感じられます。
 他の楽章もほぼ同じ傾向ですが、速いテンポの楽章らしく、緊張感に加えてリズムの良さがあります。
 そもそもテンポ自体も速めですが、スピード感とはまたちょっと違います。
 横への流れよりも、縦の動きです。
 流れるようなスマートなものではなく、リズムと拍に乗って跳ねるように進んでいきます。
 メロディーも大きく歌うというより、リズムを強調して小さく輪を描くように、しかし短く切ったフレーズの一つ一つはしっかりと歌っています。
 録音が弱いこともあってか、大編成のわりに響きも軽く、明るく機敏な演奏です。(2006/9/2)


サイトのTopへ戻る