E.H.シェリング ヴィクトリー・ボール

指揮ウィレム・メンゲルベルク
演奏ニューヨーク・フィルハーモニック
録音1925年10月9日
発売及び
CD番号
BIDDULPH(WHL 025-26)
Pearl(GEMM CDS 9922)


このCDを聴いた感想です。


 この曲が作曲されたきっかけは、アルフレッド・ノイス(Alfred Noyes)という人が書いた反戦詩に触発されたためらしいのですが、その割には、他の反戦的な曲によく見られるような、暗さや重さや絶望感はほとんど感じられません。
 曲の冒頭こそ、不協和音が連続して用いられ、戦争に対する不快感を表しているかのような抑圧された空気が感じられるのですが、ものの30秒も経たないうちに、厚い雲がさっと取り払われて太陽が顔を見せたように、ガラッと雰囲気が明るく楽しげになります。
 曲の長さは13分強といったところですが、冒頭の30秒間以外の残りの12分以上は、ほとんど明るい雰囲気のままです。
 曲名の「ヴィクトリー・ボール」は、どうやら「勝利の舞踏会」と訳すらしいのですが、まさに舞踏会のような踊るにピッタリのテンポで曲が進んで行きます。
 しかも、ずっと同じような踊りが続くのではなく、ワルツ風に優雅なテンポだったり、ポロネーズ風に力強かったり、かと思えばブーレかなにかを連想させるような急速な踊りがあったりと、いろいろバラエティに富んでいます。
 この曲は、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」との類似をよく指摘されるらしいのですが、さもありなんという気がします。
 これだけ楽しい踊りの音楽ばかりだと、反戦どころか本当に「勝利の舞踏会」の名称そのままに、単なる祝勝会の音楽みたいなのですが、一応、楽しいだけではなく少し雰囲気の変った音楽も間に挟まれています。
 ベルリオーズの幻想交響曲の第5楽章のメロディーとしてもよく知られている『Dies irae(ディエス・イレ:怒りの日)』(「ドーシードーラーシーソーラー」というメロディーです)や、R・シュトラウスの「英雄の生涯」の『英雄の闘い』を思い起こさせるような軍隊ラッパを模した鋭いトランペットのメロディーといった、戦争を連想させる音楽もところどころに登場しています。
 ただ、ディエス・イレが登場しても、とても最後の審判のような雰囲気ではなく、テンポはかなり速く、荘重や厳粛というより勇壮という雰囲気です。
 トランペットのメロディーの方も、もともと「英雄の闘い」を髣髴させるぐらいですから、力強さと勇ましさに溢れています。
 この二つは、たしかに戦争を思いださせるのですが、反戦というより、むしろ軍隊に入る事を奨励しているみたいです。
 しかも、この戦争の雰囲気も短い間だけで、曲の方はすぐに舞踏会に戻ってしまいます。
 なんだか、『パーッと戦争をやって勝って楽しく祝勝会をやろうよ』、と言っているみたいで、わたしにはどこが反戦なのかさっぱりわかりません。
 もっとも、これは原詩を知らないせいで、ちゃんと詩を読めば、なるほどと納得できる可能性は高いと思いますが。
 ただ、反戦云々をとりあえず気にしなければ、カラフルで色々変化があり明るくとても楽しい曲です。
 そういえば、曲の最後は、トランペットがまるで軍隊の消灯ラッパのような哀愁を感じさせるメロディーを奏でながらゆったりとちょっと寂しげに終るのですが、これもなかなか興味深い趣向です。こういうところは何かしら意味がありそうです。

 曲の初演が1923年ですから(ストコフスキーとフィラデルフィア管)、この演奏は、初演からそれほど経っていない2年後に録音された事になります。
 そう考えると、作曲された当時の雰囲気もそこそこ忠実に伝えているのではないでしょうか。
 録音は、ちょうど機械録音と電気録音の境目で、最初期の電気録音ですから、まだまだ貧弱な音です。
 ただ、さすがに電気録音の威力は大きく、その少し前に録音された機械録音の録音と較べると、雲泥の差があり、遥かにくっきりはっきりと鮮明です。もちろん『その当時としては』の話ですが。
 ところで、今、ふと気がついたのですが、シェリングはアメリカの作曲家ですが、メンゲルベルクがアメリカの作曲家の曲を演奏するのは珍しいのではないでしょうか。
 シェリングはユダヤ人ではないでしょうが、それでも戦時中にオランダで演奏できたとはあまり思えませんし、戦後にメンゲルベルクの演奏はありません。
 演奏するとすれば、この曲が録音された時のようなニュヨーク・フィルの常任指揮者を務めていた時代だと思いますが、演奏はしていたとしてもおそらく録音は残ってはいないでしょう。
 とすれば、この録音は、もしかしたら、メンゲルベルクが遺した唯一のアメリカ人作曲家の作品の録音なのかもしれませんね。少なくともわたしが知っている限りでは他には無いはずです。(2003/9/27)