D.ショスタコーヴィチ 交響曲第7番 ハ長調 <レニングラード>

指揮アルトゥーロ・トスカニーニ
演奏NBC交響楽団
録音1942年7月19日
販売BMG(RCA)
CD番号BVCC-9725(74321-55625-2)


このCDを聴いた感想です。


 この「レニングラード」という曲は、作曲された当時、対ファシストの象徴として非常にシンボリックな扱いを受けた曲です。(後年、「証言」に書かれているようなショスタコーヴィチの真意が別に有ったかどうかはわかりませんが)
 この曲の世界初演は、1942年3月29・30日にモスクワで行なわれましたが、当時、ソヴィエト連邦と並ぶ、連合国の巨頭であったアメリカでも、戦意高揚の一環ということもあり、この記念碑的な作品のアメリカ初演という名誉を担わんと、多くの指揮者が名乗りをあげました。
 しかも、その指揮者というのが、クーセヴィツキー、ストコフスキー、オーマンディ、ロジンスキーといった、アメリカで最も著名な指揮者達で、それぞれ、ぜひとも自らの手で初演したいという意気込みに燃えていました。
 その争奪戦の結果、見事に初演する権利を射止めたのがトスカニーニであり、この演奏は、その記念すべきアメリカ初演の演奏そのものなのです。

 さて、実際の演奏の方ですが、良くも悪くも初演の演奏らしいと思います。
 まあ、初演といっても、単にある曲の最初の演奏という普通の状況ではなく、非常に世間からの注目度が高く、しかも、対ファシストという明確な方向性を持った曲という、かなり特殊なケースでの初演なので、他の初演とは比較するべきではないのかもしれません。
 とはいえ、そういう点もあり、演奏はかなりアグレッシブです。
 いや、攻撃的といっても良いかもしれません。
 一つ一つの音に緊張感があり、しかもそれが、基本的には前へ前へというエネルギーなのです。
 例えば、第3楽章の冒頭にコラールのような分厚い和音の進行があります。
 もちろんこれをどう演奏させるかは指揮者の解釈によって自由なのですが、トスカニーニは、この和音を、コラールのように落ち着いた安らぎを感じさせるような雰囲気には演奏させず、音の変わり目にはかなり硬くアタックを入れ、和音の塊が次々と聴く者に迫ってくるかのような、より積極性を強調した演奏にしています。
 もともと他の曲でも、トスカニーニにはそうした傾向があったのですが、この演奏では、対ファシストという意気込みに燃えていることもあるのか、さらにアタックはハッキリと硬くつけられ、音楽の流れも前に畳み掛けるような勢いがあり、白熱した印象を強く受けます。
 ただ、初演の悪い面として、技術的に少し怪しげな部分もいくつか目につきます。
 NBC交響楽団は名人揃いですし、楽譜が演奏者の手許に届いてから初演までは3週間程度は余裕があった筈ですが、何分見たことも聴いたこともない曲なので、速いパッセージが錯綜して表れるところなどでは、さすがにピタッと揃えるという訳には行かなくなり、わずかに響きに濁りが出ています。
 まあ、逆にいえば、3週間程度でここまで揃えられるという点の方がよっぽど凄いことではありますが。
 また、テンポの方でも、一定のテンポをキープしている部分や、少しずつ変化している部分は良いのですが、急激にテンポが変化する部分では、ズレが生じるほどではないものの、テンポの変化に演奏者が上手く乗れておらず、少し不自然に感じられます。
 この点にはトスカニーニも気付いていたのか(もしくは単に感極まっただけなのかは分かりませんが(笑))、オーケストラをリードするようなトスカニーニの声が結構あちこちに聞こえ、ちょっと面白い記録性になっています。
 一方、初演というハンデをものともしていないのが、メロディーを歌わせるという点です。
 メロディーのどれ一つをとっても、こう歌わせたいという方向性が明確に感じられ、ただ楽譜を音にしているだけとか、演奏者の方でどう歌って良いのか迷っているという雰囲気は全く感じられません。
 まるで、既に何十回も演奏を繰り返して完全にレパートリーとして確立された曲のようで、とても初演とは思えないほどです。

 それにしても、トスカニーニはこの曲のアメリカ初演者としての栄誉を勝ち得ましたが、この第7番以外のショスタコーヴィチの交響曲って、演奏しているのでしょうか。
 コンサートでは演奏しているのかもしれませんが、少なくとも録音は見た事が無いような気がします。
 個人的には、第9番あたりを聴いてみたかったものです。(2002/10/4)