C.M.v.ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲

指揮トーマス・ビーチャム
演奏ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
カップリングモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲 他
「BEECHAM conducts FAVOURITE OVERTURES Volume2」より
録音1938年7月18日、10月3日
発売DUTTON(Columbia)
CD番号CDLX 7009


このCDを聴いた感想です。


「オベロン」序曲は、有名曲だけあって同時代の指揮者だけでも、メンゲルベルクやトスカニーニ、フルトヴェングラーなど多くの録音が残っています。それらの指揮者の演奏は、甘美なメンゲルベルクや破壊力のトスカニーニや巨大なフルトヴェングラーなど、それぞれの持ち味が十分に発揮され、どの演奏も個性的です。それらの指揮者と較べると、ビーチャムの演奏は、そこまで徹底された個性はありません。聴く者を驚かせるような突飛なことはしておらず、まさに中庸といってよい演奏です。
 しかし、だからといって聴いた1秒後には忘れてしまいそうな没個性な演奏かというと、それは違います。
 ビーチャムの演奏には、中庸ならではの個性があります。
 それは「自然」なことです。
 特に、メロディーの歌わせ方にはその特徴が良く表れています。
 例えば、第65小節目くらいから登場するクラリネットのソロやそれに続く弦楽器のメロディーなどは、他の指揮者の演奏では、ソロらしく強弱の幅を広く取ったりするなど大きく表情を付けて強く訴えかけてきます。メンゲルベルクに至ってはテンポまで動かして濃く表情をつけているぐらいです。その一方で、近年の指揮者の演奏だと表情付けは大分薄くしているものの、今度は平板に聴こえがちです。
 ビーチャムの場合は、一聴した感じではサラッと流して吹いているかのような薄い表情づけです。しかし、その薄さのバランスが非常に上手く、無理やりつけたのではなく、まさに「自然」に陰影が付いています。まるで、メロディーが自ら語っているような歌い方で、強く訴えかけようとはしていないのに豊かさ表情が感じられます。これほどメロディー自体が持つ魅力を引き出すというのは、他の大指揮者でもできなかったことで、バランスとセンスが抜群だったビーチャムだったからこそ、コントロールできたのではないかと思います。
 全体のテンポの設定も、速過ぎず遅過ぎずちょうどよいところです。実は、上記のクラリネットのソロのメロディーが登場するところは大きくテンポを落とすなど、フレーズに合わせてけっこうテンポを変化させていますが、その変化のさせ方が強引なところが無く、 むしろ音楽が杓子定規にならず、ほどよい柔軟性があり、これまた自然に聴こえます。
 もっとも、終盤の第183小節目のフォルティッシモの全合奏に入る前で、楽譜に無い全休止を挟んでいる点だけは、流れを人為的にバッサリと断ち切っています。
 この全休止は、現在の演奏ではほとんど見られませんが、ビーチャムと同時代の指揮者の演奏では、同様に切っているものも結構あり、珍しいというほどではありません。たぶん当時の慣習として広く行われていたのでしょう。流れ的にはちょっと不自然ですが、それだけに、この部分を曲の中で最も強調したいという意図は良く伝ってきます。(2011/6/4)


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