指揮 | ウィレム・メンゲルベルク |
演奏 | アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 |
録音 | 1940年12月8日 |
発売及び CD番号 | ARCHIVE DOCUMENTS(ADCD.119) |
この曲の副題の「ゾイデル海」とは、アムステルダムの北東に位置する、入り口の狭い、大きな入り江でした。 わざわざでしたと強調して書いたのは、実はこのゾイデル海、現在はありません。 といっても、地殻変動等で痕跡も残さず消滅してしまったわけではなく、入り江自体はちゃんと残っています。 ただ、狭い入り口が、長さ30kmにも及ぶ大堤防によって外海と完全に隔てられ、海ではなく湖となってしまいました。 そして名称も「ゾイデル海」から「アイセル湖(Ijsselmeer)」へ変わり、ゾイデル海という名称は無くなってしまったのです。 そのアイセル湖にしても、本来は、そのまま湖のまま残す予定ではなく、最終的には広大な干拓地へと変えていくという遠大な計画で、大堤防にしても、その計画の最初の段階だったのですが、大堤防が完成した頃には時代が変わっていて、広域の干拓地は必要無くなってしまい、結局、干拓されずに湖として今に残っています。 このゾイデル海(アイセル湖)の周辺は、昔から風光明媚な場所としてよく知られていたようで、この曲も、ドッパーがゾイデル海を船旅した時に、その周辺の美しい風景の印象を基に書かれた曲とのことです。 ドッパーがこの曲書いたのは1917年で、一方、大堤防は1927年から1932年にかけて建設されていますから、作曲された時には、まだゾイデル海だったわけです。 ということは、もしこの曲が、1932年以降に作曲されていれば、もしかしたら「アイセル湖」という副題になったのでしょうかね? さて曲の方ですが、ゾイデル海の風景の印象を基に書かれたとありますが、聴いた感じではあまり写実的な印象は受けません。 直接何々をイメージさせる曲というよりも、もっと間接的で、豊かな色彩で風景の美しさを感じさせる曲です。 まるでラヴェルか何かのフランス系の作曲家のように、各楽器の音色を活かしたオーケストレーションで、ドイツ系のようなオーケストラ全体での分厚い響きというよりも、楽器同士の組み合わせでいろいろと変化していく音色の華やかさを楽しめます。 その一方でメロディーの方は、洒落た感じではなくもっと直線的なのですが、単純で馴染みやすく、繰り返し使われる事もあって印象に残ります。 冒頭のメロディーなんかは、普段でも、いつの間にかつい口に出して歌ってしまうほど脳に刷り込まれてしまっています。 全部で4楽章あるのですが、その中で第1楽章と第4楽章は、速いテンポの両端楽章であり共通したメロディーが使われている事もあって似通っています。 中間楽章と較べて、音色の豊さは変わらないのですが、それに力強さが加わっています。 基本的に、冒頭から登場するメロディーが中心で、これに装飾がついたり展開したりするのですが、第1楽章の場合はメロディーが二つ一緒に登場する事はほとんどなく、ほとんど「単一のメロディー+伴奏」の形で進んでいきます。 メロディーが1種類で、それに伴奏が加わる形ですから、似たような形式の繰り返しになるのですが、音色に変化があるため、同じことを延々繰り返しているような印象は受けずに、かえって、その単純性に、明快さを感じます。 さらに第4楽章の場合は、メロディーは一本で登場するのではなく、組み合わせて複合的に使用されるため、第1楽章に較べ、明快さは若干後退しているのですが、その分立体感があります。 また、この楽章ではティンパニーがメロディーの一部を担ったりと、なかなか重要な役割を務めています。 これら第1・4楽章は、多少なりともがっしりとした構成が感じられるので、まだ交響曲らしいのですが、中間の第2・3楽章は、少し毛色が変わっています。 『ユーモレスク』と題された第2楽章は、他の楽章より極端に短く、その分、全編明るさと楽しみに充ちています。 弦楽器のトップ奏者同士のアンサンブル(スコアを確認していませんがおそらく)が多く登場する事もあって室内楽的なアットホームな雰囲気がありますし、メロディーも洒落っ気のきいたものです。 その一方で、金管を中心とした華やかさもあり、特に最後の部分は、それまでのメヌエットぐらいのテンポから一気にスケルツォのテンポになったかのような急激なテンポアップもあり(曲自体はずっと4拍子ですが)、雰囲気は大いに盛り上がり、楽章が終った瞬間には曲の途中にもかかわらず拍手までおこっています。 そして、最後にとりあげる第3楽章ですが、これは第2楽章とは全く別の方向性で変わっています。 異質にして最も幻想的な楽章です。 いわゆる緩徐楽章にあたるのですが(テンポ表記はAndante Rubato)、まるで印象派の曲のように、バックを淡い色彩の和音がゆっくりと変化していって、その上を弦楽器のソロが協奏曲の緩徐楽章のカデンツァみたいに、自由なテンポでメロディを奏でていくのです。 そういう全てが溶け合った幻のような世界から、後半は、だんだん形が表れてきます。 それは、雲の上の天国のようでした。 憂うものが何も無い、安らかな雰囲気がそこにあります。 特に木管で演奏される速いテンポのメロディーは、完全に無重力で、楽しげに跳ねまわっています。 しかし、その幸せも長くは続きません。 いつの間にか第1楽章のメロディーが忍び寄って来て、聴く者を地上に引き戻し、そのまま第4楽章へ入っていくのです。 そう、このCDの第3楽章と第4楽章のトラックの間には、境い目の無音部分があるのですが、この部分は、わたしはアタッカ(楽章と楽章の間がつながっている事)だと思うのです。 第3楽章の最後はティンパニーのロールで終っていますし、第4楽章の冒頭も同じ音のロールから始まっています。 それになにより、第3楽章の終りはそこで切れるような雰囲気ではなく、第4楽章の冒頭もそこで新しく始まったような雰囲気でもないのです。 楽譜を見た事が無いので、正確にはわかりませんが、わたしはおそらくそうだと踏んでいます。 この曲は、わたしは好きなのですが、いかんせん作曲家がマイナーな事もあって、録音がほとんどありません。 そりゃまあ、ドッパーは、作曲家というよりも、メンゲルベルクの下でコンセルトヘボウ管の副指揮者を務めた事の方が有名らしいですし、しょうがないのかもしれません。 そういえば、この曲は初演はメンゲルベルクなのですが、献呈されたのはメンゲルベルクではなく、カール・ムックなのだそうです。 まあ、ムックもドッパーの熱心な紹介者だったらしいので、その縁なのでしょう。 ……話がそれました。 ドッパーの交響曲といえば、最近、マティアス・バーメルト指揮のCDがリリースされていますが、たしかまだ第2・3・6番だけで、この第7番はリリースされていません。 第7番については、このメンゲルベルクの録音以外では、以前、キース・バーケルス指揮のCDが出ていたのですが、わたしは持っていませんし、店頭で見かけたことすら一回もありません(ただし、聴いたことはあります)。 でも、録音されたのが1994年と最近ですから、近い将来、再販されるのを期待しましょう。 ただ、レーベルが「NM CLASSICS」という日本に入りづらいレーベルなのが少し不安ですが……(汗) そもそも、この曲のメンゲルベルクのCDからして、入手困難なCDでした。 録音として残っているのは知っていましたし、TAHRA(401/402)のディスコグラフィーによって、唯一ArchiveDocumentsによってCD化されていたこともわかりましたが、これまた一度も見かけた事がありませんでした。 あまりにも見つからないので、終いにはTAHRAのディスコグラフィーは単なる間違いだと思いましたよ。ええ(笑) が、今年(2003年)の春、なぜか東京の大手CDショップに急に出回り、わたしも手に入れる事ができました。 なにせ、この曲は、他に代えが無かっただけに嬉しかったですね。(2003/4/26) |