C.A.フランク 交響曲 ニ短調

指揮ピエール・モントゥー
演奏シカゴ交響楽団
録音1961年1月7日
カップリングストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」
発売BMG(LIVING STEREO)
CD番号09026-63303-2


このCDを聴いた感想です。


 昔から定評のあるモントゥーとシカゴ響の演奏です。
 実は、頭の方を聴いた瞬間は、意外とアンサンブルの縦の線が揃っていないのにビックリして、「えっ!? これが、ライナー時代のシカゴ響の演奏なの?」と思ったものですが、幸い、揃っていないのは本当に頭の方だけで、ほとんどはよく揃っています。
 いや、逆に、この演奏はシカゴ響の能力の高さがダイレクトに表れています。
 当時のシカゴ響の音楽監督は言わずと知れたライナーですが、ライナーの演奏は、どんな細かい音でもライナーのコントロール下にあり、強い意志の力によってプレイヤーを引っ張って行っているように聞こえます。
 ところがモントゥーの演奏は全く違います。
 プレイヤーが伸び伸びと自発的に演奏していて、モントゥーは前で引っ張って行くのではなく、後ろで軽く手綱を握ってチョイチョイとコントロールしているような感じです。
 例えばフォルテの部分にしても、普通の演奏、特に熱演なら、指揮者が全身全霊を込めて気合を入れることで、オーケストラからより輝かしいフォルテを引き出すところですが、モントゥーの場合は、全然力を入れず、ちょこっと軽く合図しただけでオーケストラが喜び勇んで進んでフォルテまで盛り上がる、またモントゥーが軽く合図すればするするっとオーケストラ自身の意志でピアノまで下りてくると思えるぐらい自然に聞こえます。まるでガスコンロのスイッチを捻るように、わずかな力で炎の大きさを自在にコントロールしているみたいです。
 指揮者が情熱や力で引っ張るのではなくオーケストラの自発的な意志にまかせているといっても、そこはシカゴ響。冷たい、ただ音が大きいだけのフォルテではありません。
 響きは厚く、音は力強く、自発的な分だけ「どうだ。俺達はここまでできるんだ」という自信に満ちた輝きがあります。特に金管は全てをなぎ倒して進んでくるような、突き抜けた圧倒的な輝きに満ち溢れています。
 しかも、指揮が軽いため、無理や力みが無く、カラッとした抜けるような澄んだ輝きです。

 一方、モントゥーの意志が音楽に強く表れているように聞こえるのは第2楽章です。
 このイングリッシュ・ホルンから始まるメロディーの歌わせ方が、軽妙なのです。
 力を入れたり、哀愁たっぷりに演奏しているわけではありません。あくまでも軽い力で、ビブラートを適度に加えた歌い方が、女性がいたずらっぽくわざとすましたような感じで、手を伸ばせばするっと逃げてしまう捕らえそうで捕らえられない、じらすような魅力があります。
 さらに、よりいっそう特長が出ているのが、第2楽章後半の、ヴァイオリンやクラリネットが演奏する跳ねるような明るいメロディーが登場して以降です。
 細かい動きは硬さを保ったまま、全体の響きが次第に軽く柔らかくなっていきます。
 終盤は、完全に重さが無くなり、まるで綿菓子のように触ったらすぐにでも溶けてしまいそうなぐらいフンワリと柔らかい響きになります。
 ほとんど夢の中にいるような気分で、第3楽章に入って目覚めるのが惜しくなるほどです。

 第3楽章は、傾向としては第1楽章とあまり変わらないのですが、一つだけ特筆しておきたいのが、第300小節の3拍目です。300小節目の楽譜です。
 以前から何度も書いていますが、楽譜(1)の赤丸で囲んだ2ndトランペットのBの音を倍に伸ばして強調して、次の小節からのメロディーの一部として演奏させるのがわたしの好みです。
 モントゥーは、まさに好み通り3拍目の音を強調して演奏しています。
 しかし、思い出してみると、3拍目を強調している演奏は、わたしの知っている限りでは、このモントゥーと、メンゲルベルクカラヤンマルティノン、ミュンシュ(ボストン響)と、メンゲルベルクを除けばフランスがらみの演奏ばかりです(カラヤンは、オーケストラがパリ管なので)。
 フランス人指揮者のパレーがやっていないのが少し引っかかるとはいえ、これだけフランス関係の演奏が並ぶとなると、フランスではそういう伝統でもあったのかと想像したくなってしまいます。(2004/4/10)


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