A.オネゲル 劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」

指揮セルジュ・ボード
出演ジャンヌ・ダルク:ネリー・ボルジョー
ドミニーク    :ミシェル・ファヴォリ
聖処女      :クリスティーヌ・シャトー
豚         :ズデニェック・ヤンコフスキー
オンド・マルトノ :フランソワーズ・デロジェール
演奏チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
チェコ・フィルハーモニー合唱団
録音1974年
発売日本コロンビア(SUPRAPHON)
CD番号CO4173-74


このCDを聴いた感想です。


 捕らえられたジャンヌ・ダルクが茶番劇の裁判にかけられ、火刑を宣告され、最後には火刑台上で焚刑となります。
 リーフレットによりますと、裁判の様子は、史実の裁判とは少し異なるようです。
 また、劇中で、ジャンヌは「魔女」と呼ばれていますが、実際には「魔女」としての追求と、「異端者」としての追求がごっちゃになり、焦点がぼやけたり、証言に矛盾が生じたりして、かえってジャンヌの無実が証明され、最後は強引に判決を下しています。わたしは、この裁判はイギリス側にかなり不手際があったのではないかと考えています。

曲の話に戻ります。

 この曲は、おもしろいことに語りと歌手が完全に分かれています。
 例えば、ジャンヌ・ダルクやドミニク・ド・グスマンは、セリフのみで歌はありませんし、聖処女は歌のみです。
 この二種類の組み合わせが、美しさと生々しさを対比させて、著しい効果をあげています。
 また、電子楽器のオンド・マルトノが効果をいっそう高めています。
 わたしが曲の中で最も好きなのは前半の山場である「野獣に引き渡されたジャンヌ」の部分です。
 ここはジャンヌが裁判にかけられる場面です。
 史実で裁判を行なったコションという人物の読み方が、たまたま「豚」という単語と同じであったことから、裁判の出席者が全て動物に置き換えられています。
 他にも陪席判事が「羊」に、書記が「驢馬」になっています。  そして、「豚」は尊大な態度で裁判長の席を占めます。
 裁判の中では、驢馬は、ジャンヌの証言を捻じ曲げて記録に残し、羊は何の主体性も持たず、ただ豚のすることに賛成するだけです。
 民衆は、豚の素晴らしさを賛美し、ジャンヌのことを魔女と決めつけます。
 この部分の音楽が、いかにも人をバカにしたかのようなふざけた感じのメロディーです。
 そして歌詞は、群衆が一斉に動物たちを賛美する内容であり、群衆の純粋な心と音楽のふざけた感じとの間の落差が、そのままジャンヌの悲劇の大きさのようにわたしは感じます。

 また、わたしが最も穏やかでいられなかったのが最後の「炎の中のジャンヌ・ダルク」です。
 最後ジャンヌが焚刑にされます。
 フランスを救うために戦っていたジャンヌは、そのフランスの群衆から「魔女」や「異端者」と呼ばれ、「焚刑にしろ!」とののしられます。
 落胆しているジャンヌに天から呼ぶ声が聞こえます。
 「ジャンヌ。あなたは孤独ではない。こちらの方に来なさい」と、
 しかし、ジャンヌは自分は火で焼かれるのが怖いのでそちらには行けないと返事をします。
 なおも、天からは、ジャンヌにこちらに来るように呼びかけ、
 最後にはついに、ジャンヌは自分の魂を肉体に縛り付けていた鎖を断ち切り、自由になります。

 ざっと端折って解説しましたが、実際にはもっと経過がいろいろあります。
 特にジャンヌが天からの呼びかけに応えられない状態が長く引っ張られ、ついに最後に自由になる瞬間は非常にドラマチックです。
 わたしは、音楽を聴いて泣くようなことはないのですが、いままでにたった一度だけ泣いたのがこの部分を聴いた瞬間です。
 それもコンサートとかではなく、ちょうど一年ほど前、この時期は毎年忙しいのですが、夜遅く会社で一人で残業をしているときにこのCDをかけていて、この場面にさしかかったとき、思わず涙がこぼれました。
 まあ、気分的なものもあるかもしれません。それから幾度と無くこの曲を聴いていますが、この場面を聴いても、心を強く動かされることはあっても、もう泣くことはありませんでした。(2000/2/11)


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