指揮 | アルベール・ヴォルフ |
演奏 | パリ音楽院管弦楽団 |
録音 | 1955年 |
カップリング | マスネ 組曲第4番「絵のような風景」 他 |
発売 | LONDON(DECCA) |
CD番号 | 433 088-2 |
このバレエ音楽「四季」は、グラズノフの書いた曲の中では有名とはいえ、ご存知無い方も多くいらっしゃると思いますので、まずは簡単な解説から。 音楽で『四季』というと、有名なのはヴィヴァルディの弦楽合奏曲かハイドンのオラトリオ、いや、大抵の方はヴィヴァルディの方の曲が思い浮かぶのではないかと思います。 ヴィヴァルディの四季が、春から始まって、夏、秋と進み、最後が冬で終わるのに対して、グラズノフの四季は、冬から始まり、春、夏と進み、最後は秋で締めくくられています。 ようするに農事暦みたいなもので、収穫祭が最後に来ているのです。 また、この曲はバレエ音楽なので、当然踊りがついています。 登場するのは、霜や氷、そよ風、麦穂といった自然現象や自然物で、他には妖精たちが出てきますが、人間は登場しません。 基本的に、何か事件や出来事の類を表現しているのではなく、風景や自然現象を一枚の絵画のように描写しています。 音楽は、冒頭にいくつかテーマが現れるのですが、それが季節が移っても形を変えて端々に顔を出していて、曲が四つの季節に分かれていても、全曲で統一感が保たれるように構成されています。 まず最初の季節である冬は、冒頭にちょっとした前奏があった後、霜・氷・霰といったキャラクター達が出てきます。 グラズノフはロシアの作曲家なので、冬というとどうしても『一寸先も見えないような吹雪』とか『どんよりとして曇った空』とか『身を切るような寒さ』とか『一瞬にして体温を奪い去っていくような木枯らし』とかそういうのを想像してしまいますが、そういう雰囲気が少しでも感じられるのは冒頭の前奏の部分だけです。 キャラクター達が出てきてからは、清々しさとか、ちょっとした陽だまりとかいったような、冬の中でもポジティブな面が表に出ています。 この場合、『寒さ』とは、凍えるような寒さではなく、枕草子の四季について書いた文章の冬の項目の『冬はつとめて(早朝)』に代表されるような、身が引き締まるような心地良い寒さなのです。 さらに、他の部分に至っては、『風一つしないよく晴れたお日様の下で子供たちが雪合戦に興じている』風景のような活発な雰囲気で、ヴィヴァルディの冬の第2楽章が『外は吹雪だけど、自分は暖炉の前でとってもぬくぬく』といった情景といい対照をなしています。 春は、他の季節に較べて曲の長さがなぜか半分くらいしかありません。 その分、情景描写も少なく、全編『春真っ盛り』といった雰囲気です。 ただ、華やかは華やかなんですが、あくまでも『田舎の』春という感じで、草木は盛んに萌え始め、桜の花びらは、風に吹かれて、そよそよと舞い落ちるような風景とはいえ、静かでのどかな気分が全体を支配しています。 夏は、春からアタッカで続いていくのですが、初めの方は春ののんびりとした雰囲気がまだ残っています。 この大らかな雰囲気はそのままで、だんだん音楽のスケールが大きくなっていきます。 その様子は、何だか夏の入道雲を思い出させます。 後半、テンポが速くなって緊張感のある音楽が出てきますので、ちょうど最後に夕立が来たみたいで、イメージ的にもピッタリかもしれません。 そして、嵐(?)が、収まって静かになり、秋に入っていくのです。 秋は、最後に相応しく、やたらと派手な曲です。 まあ、収穫祭に相応しいんでないでしょうか(笑) 冒頭で華やかなメロディーが出て来て、その変奏曲というスタイルで曲が進んでいきます。 冬の前触れのような淋しげな雰囲気にしてみたり、一面に広がる稲穂をイメージさせるような雄大な雰囲気にしてみたり、祭りの楽しさを出してみたりと、いろいろな表情を見せてくれます。 この変奏の中で、特に美しいのが『Petit Adagio(小アダージョ)』と単独のタイトルがついている部分です。 アンダンテ・モッソ(なぜかテンポはアダージョではありません)のゆったりとしたテンポの中で、木管楽器や弦楽器が次々と綺麗なソロをつなげて行き、叙情的な雰囲気に充ちています。 そして、最後はまた賑やかになり、曲の冒頭のテーマが戻って来て、華やかに終わります。 メロディーも確かに親しみやすいのですが、それ以上に絵画を見るような雰囲気の描写が素晴らしく、とても楽しめる曲です。 ヴォルフの演奏は、オーケストラのパリ音楽院管の音色の多彩さを最大限に生かし、シーン一つ一つの表情をより一層豊かにしています。 リズムのキレが良かったり、音色に統一感があるわけではありませんが、聴き手に対して無闇に緊張感を強いることが無く、リラックスして雰囲気に浸れるような柔らかい音楽を創り出しています。 実は、この曲は演奏される際にカットされることが多い曲で、特に最後の秋のPetit Adagioの直後の変奏は特にカットされる場合が多く、ヴォルフもカットして演奏しています。 いや、それどころか、作曲者本人の指揮した演奏ですら、カットしている始末です。 わたしは、この四季のCDを4枚持っていたのですが、全ての演奏でカットされていて、楽譜には記載してあるのに、音を聞いたことがなかったのです。 新たに5枚目を買って、ようやくノーカットの演奏に巡り合え、初めてこの部分を聴く事が出来ました。 初めて聴いた瞬間は「なるほど! この部分は本来はこういう演奏だったのか!」と新鮮に感じたのですが、よく考えてみれば「5枚目でも新鮮に感じる部分があるというのは、どういうことかい!」という気もしますが(笑)(2001/11/30) |