指揮 | アルトゥール・ロジンスキー |
演奏 | ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団 |
録音 | 1954年10月5・7〜9日 |
カップリング | グリーグ 「ペール・ギュント」組曲 |
発売 | ユニバーサル ビクター |
CD番号 | MVCW-18011 |
なんとも硬い演奏です。 音の一つ一つに力が篭もり、押してもビクともしないような強靭さがあります。 さらに、アクセントは、バシッと叩きつけるようで、恐ろしいまでの迫力が感じられます。 これらが、ロジンスキーの棒の下でギリギリと締め上げられ、濃縮されることで凄まじい緊張感を生み出しています。 また、全体的にテンポは速く、メロディーもあまり歌い込んだりせず、むしろそっけないと言えるほどストレートです。 しかし、それぐらいの方が、この演奏にあっているのかもしれません。 全体の雰囲気が硬いのに、メロディーだけ歌い込まれているのも少し妙でしょうし(笑) といっても、さすがに第2楽章だけは、テンポをかなり落とし、ソロもよく歌わせています。 ただ、よく歌っているといっても、それこそ『家路』のようなノスタルジックな雰囲気はあまり感じられず、純粋に音楽だけ聴こえてくるような無彩色な雰囲気です。 これが、第1・3・4楽章ともなると、もうドリルの如く真っ直ぐに突き進んでいきます。 わき目もふらず、色気も全く出さず、全編アグレッシブといった感じです。 いや、実際のところ、第3楽章の中間部のように緩やかなテンポの部分もあるのですが、あまりにも他の部分の印象が強くて、少しテンポを緩めたぐらいでは印象に残らないのです。 全体的に非常にミリタリーチックで、わたしはこういう演奏は結構好きです。 録音は、モノラル末期だけあって、さすがに鮮明です。 もちろん細かく見れば、マイクの許容範囲を超えてしまっている部分も多々あるのですが、鑑賞に支障があるほどではないと思います。 実は、個人的には、このユニバーサルのシリーズの復刻はあまり好きではないのですが(ショスタコーヴィチの第5番でがっかりしましたので)、この演奏は、あまり不満なく聴く事ができました。 ロジンスキーの演奏とは直接関係無いのですが、この「新世界より」という曲で、スコアを見ながら聴くことで初めてわかった意外な事実がありました。 それは、フルートの次席(二番)奏者のソロが異常に多いことです。 この曲のような一般的な2管編成の曲の場合、たしかにフルート奏者は二人います。 しかし、フルートが1本だけで登場する時は、ほとんどは首席奏者のパートで、例え他の楽器と一緒の出番でも、フルートが1本だけの時にそれが次席奏者のパートである事はほとんどありません。ましてや他にメロディーを演奏する楽器が無いソロの場合は、ほぼ100%首席奏者の扱いであり、次席奏者のパートにあることは本当に極々々々稀です。 ところが、この曲では、フルートソロの半分が……いや、下手したら半分以上が次席奏者のソロなのです。 CDを聴いているだけでは、首席が吹いているのか次席が吹いているのかなんてわかりませんでしたので、スコアを見て、非常に驚きました。 さらに、この曲には、一部ですがピッコロが登場します。 このピッコロは、次席奏者の持ち替えなのですが、このピッコロにも当然ソロがあります。 まあ、ピッコロは特殊楽器なので、演奏する次席奏者にソロがあっても不思議ではないのですが、問題は、このピッコロソロの6小節後に出てくるフルートソロです(第1楽章の202小節目です)。 このフルートソロは、持ち替えの手間もあることですし、いくらなんでも首席奏者のソロかと思ったら、これまた次席奏者のソロなのです。 ということは、次席奏者が、ピッコロのソロを吹いた後、6小節間で必死に持ち替えてフルートソロを吹いているというのに、その間、首席奏者は、ただボケーっと座っているだけというわけです。 このフルートソロぐらい、いくらなんでも首席奏者に吹かせれば良いのに、と思いますが、ドヴォルジャークも一体何を考えているのでしょうかね? でも、この部分は、実演でも本当に次席奏者に吹かせているかどうか是非見てみたいところです。 そういえば、持ち替えで思い出しましたが、オーボエも次席奏者が第2楽章でイングリッシュ・ホルンと持ち替えるようになっています。 楽器を持ち替える場合は、いろいろ手間がかかるので、どうしてもある程度の休みが必要になるのですが、一箇所だけ休みが一小節間も無い部分があります。 いくら第2楽章でテンポが遅いからといっても、一小節も無い休みの間に持ち替えるのは忍者じゃあるまいし無茶な話です。しかも持ち替えた直後なんてソロですし……(泣) 一回、ドヴォルジャークを直接呼び出して、どういうつもりか問い質したい気分です(笑)(2002/3/15) |